最後のご奉公(鈴木貫太郎の言葉)

鈴木貫太郎首相

日本の大戦を終わらせた鈴木貫太郎首相の人格に触れる

▼大戦の末期、いよいよ終戦へ国論を持っていくため、昭和天皇が頼むといって首相になったのが、江戸時代生まれの海軍軍人、鈴木貫太郎その人です。77歳2ヶ月での内閣総理大臣就任は、令和の今でも最高齢記録であり、かつ非国会議員としての内閣総理大臣として最後の人、でもあります。異例中の異例の総理就任には、侍従長をつとめていた鈴木貫太郎に対する昭和天皇の絶大な信頼があり、皇太后からも、陛下の代わりになってと特に言葉を賜っての就任でした。

▼鈴木貫太郎首相は、就任直後、以下のように宣言します。

今日(こんにち)、私に大命が降下いたしました以上、私は私の最後のご奉公と考えますると同時に、まず私が一億国民諸君の真っ先に立って、死に花を咲かす。国民諸君は、私の屍を踏み越えて、国運の打開に邁進されることを確信いたしまして、謹んで拝受いたしたのであります。

— 昭和20年4月7日、内閣総理大臣 鈴木貫太郎

これは、小笠原方面陸海軍最高指揮官として、硫黄島守備隊を率いて最後の最後まで敢闘し本土侵攻を遅らせ米軍に強烈な犠牲を強いた栗林中将の「予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ」と同じ精神です。

▼鈴木貫太郎の首相就任後、敵国アメリカの指導者、アメリカ大統領ルーズベルトが死去した報を知ると、同盟通信社の短波放送により、以下の正々堂々たる談話を出しました。

今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います。

— 昭和20年4月7日、内閣総理大臣 鈴木貫太郎

これは、連合国側のメディアにも掲載され、1945年4月23日のTIME誌の記事では、以下のように発言が引用されています。

I must admit that Roosevelt’s leadership has been very effective and has been responsible for the Americans’ advantageous position today. For that reason I can easily understand the great loss his passing means to the American people and my profound sympathy goes to them.

同じ訃報に接し、例えば日本の当時の同盟国であるドイツ総統アドルフ・ヒトラーは、同国の敗色濃厚の中、ラジオ放送でルーズベルトを口汚く罵っていたというのが伝わっています。アメリカに亡命していたドイツ人作家トーマス・マンが鈴木のこの放送に深く感動し、イギリスBBCで「ドイツ国民の皆さん、東洋の国・日本には、なお騎士道精神があり、人間の死への深い敬意と品位が確固として存する。鈴木首相の高らかな精神に比べ、あなたたちドイツ人は恥ずかしくないですか」といった声明を発表するなど、鈴木貫太郎の談話は戦時下の世界に衝撃を与えています。

ここから、国論を二分し空中分解の危機を乗り越え、あらゆる手段を使い本土決戦回避、終戦へ文字通り天皇陛下と二人三脚で歩みを進める鈴木貫太郎首相は、広島長崎に原子爆弾を落とされる惨状の中、ついに御前会議にて天皇陛下の聖断を仰ぐという最終手段に出ます。

▼鈴木首相が起立し、「誠に以って畏多い極みでありますが、これより私が御前に出て、思召しを御伺いし、聖慮を以って本会議の決定と致したいと存じます」と述べたるのです。昭和天皇は涙ながらに、「朕の意見は、先ほどから外務大臣の申しているところに同意である」とポツダム宣言即時受諾案に賛意を示し、ここに昭和天皇の聖断が下り、戦争は集結するのです。天皇陛下はマイクの前に立ち、玉音放送を録音、その発表をもって、国民全体に終戦が伝わったのです。

▼日本の太平洋戦争の犠牲者は、300万人と言われ、これは当時の人口の3%です。しかし、日本人のこれ以上の犠牲及び攻め込むアメリカ軍をして、損失300万人と言わしめた日本本土決戦は回避されました。

▼鈴木貫太郎首相と同じ名前を頂いた当社、合同会社鈴木商店も、鈴木首相の高潔かつ粘り強い精神に習い、一歩一歩歩んでいきたいと願います。

予は常に諸子の先頭に在り(栗林忠道中将の言葉)

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