(2019/12/22)応援する人が心理的に離れていったように感じることについて原因は応援する側にあるという筆者の「説」を高杉晋作の故事をからめてまとめてみました

高杉晋作

おはようございます。

2019年12月も押し迫ってきたところの配信記事です。

令和元年が、本日を含めてあと10日で終わります。

そんな年の瀬を感じない、遠い将来、次の年号に生まれた人に、令和元年、ってどんな感じだったんですか、と聞かれてもあんまりまともに答えられそうもない、そんな感じで忙しく日々が流れていっています。

思えば、平成元年、というのも、もう31年も前になりますが、筆者は中学2年生でありましたが、そんなにいろいろなことは覚えていません。

当時の音楽や画像、そして当時のことが書かれた記事やテキストを読んだり見たりして、ああそうだったのかな、となぞり追いするようなもので、人の記憶など、本当にあいまいなものであります。

しかし、その一瞬一瞬を、確かに精いっぱい人は生きてきたものでありまして、どこかで、それをやめてしまえば今の自分はないわけですので、過去のことをあまり覚えていないからと言って特に落ち込む必要はなく、今の自分がいることが過去しっかり生きてきた何よりの証拠と思ってこれからもできるだけ、前向きにやっていければいいと思います。

さて、過去のいずれかの時点で、事業でも芸術でも、頑張り始めた人と出会って「応援する」ということがありますよね。

そして、そんな応援する、応援されるという関係、これは最初は非常にいいのですが、じきに、その応援している人が有名になって行くときに、特に応援している側がなんとなく困ったように感じる場合があります。

どういうことかと申しますと、例えば、若い時にこちらの経済圏(仮に福岡都市経済圏とします)にやってきて(戻ってきて)、起業して頑張り始めた、という人がいたとして、最初は、周りのみなさんや先輩経営者、投資家やメンターみたいな方々が、優しく接してくれたり取引見込み先を紹介してくれたり、食事に誘ってくれたりしていたのですが、最近、そのような対応がなくなって、逆に急に「冷たい」対応をされたり、なんとなく距離を置かれたりする、というようなことがあって、正直どうしたらいいか困っている、といった声なき声があるのです。

これは、応援する側、によくいる筆者のような、かつ人生経験もそれなりにしてきた(当年45歳)者ならばわかるのですが、45歳にもなりますと、結構「成功を果たした人」「成功めざしてもがいている人」「成功はあきらめて自分の領域は決めて淡々とやっている人」「仕事ではなくて趣味に生きようとしている人」「世を拗ねている人」みたいに結構分かれてきているところがあります。

そして、これは45歳くらいまで生きてきた軌跡そのものからにじみ出る人格、人間性というものなのですが、あんまり、その人の「能力」とか「経験」とか、ましてや「学歴」とかとは全く関係なく、その人がどう日々を、一瞬一瞬を前向きに、他責ではなく自分がどうすべきか、を考えて実行してきたかを示しているようでなりません。

起業したての若い、将来ある人を応援したい、というのは、(もしかしたらそうでなかった)自分の若い自分と照らし合わせて純粋に頑張ってほしい、と思う心から来ている場合もありますが、心理的に優位に立っている相手に対する余裕、みたいな、ある意味よろしくない感情から出てくるものでもあります。

ですので、後者のような応援マインドの人は、その起業家が、最初のヨチヨチ歩きから、立派になって力をつけて、そうして一人前になっていくにしたがって、なんとなく妬みというか嫉みというか、そういう心理的優位性、マウントをとれなくなった客観的段階から、その人のことをあまり(無意識的に)気に掛けなくなってきます。

そうして、その起業家が、(自分のような)小物ではなく、もっと「大物」らと付き合っていく「事実」を目の当たりにしますと、さらに距離を置きたがったりします。

自分の劣等感を刺激する、のでしょうか。

本来、アイドルでもプロ野球選手でも、自分が応援している選手やメンバーが、良い成績を収め、「総選挙」で勝ってセンターもしくはその近くの地位を占めれば、純粋にうれしいだけのものです。

それなのに、なぜもっと身近な「応援する」「応援される」関係は続きにくいのでしょうか。

一つの筆者の仮説としては、このように、萎えてしまう「(前)応援する人」は、残念ながら、自己評価があまり高くなく、自分自身がチャレンジしている程度も高くない、ということが挙げられるのではないか、と考えています。

すなわち、自らこそが挑戦者、学習者である、と強烈に、誰よりも思っていた吉田松陰先生は、部下や教え子が出世街道を驀進することに、ひとかけらの嫉妬などなかったと思うのです。

それゆえに、松陰先生に学んだ者は、この先生の人間性に深く帰依して、先生の死を胸に、それぞれが全力で生を全うすることになります。

松陰先生の双璧(壁じゃないですよ!、「玉(ぎょく)」の最高級品ですよ!(過去記事参照))と言われた高杉晋作の詩が残っています。

猛烈の奇兵
何の志す所ぞ
一死をもって
邦家(=国)に報いんと要す
よろこぶべき
名遂げ功成るの後
共に招魂場上の
花とならん
弔らわる人に入るべき身なりしに
弔う人となるぞはずかし 

「名遂げ功成るの後 共に招魂場上の 花とならん」

高杉晋作は、あの世で、みんなで、先に逝かれてしまわれた吉田松陰先生を囲んで、こうした成果を讃え合おうぜ、と言っているのです。

これは、実際に功成り名遂げたかどうかは別にして、現世の、もしくは後世の歴史家の人々に任せるなりして、どう前向きに生きたのか、それを天上で、お互い讃えあおう、と言っているというのが私の解釈です。

ですので、応援することによって依存する、というねじれた関係に陥らないように、筆者としては気を付けていきたいです。

筆者の周りには、起業して、上場までして大成功している人、上場したけど苦しんでいる人、上場や株式公開できずに苦しんでいる人、また事業を続けられずに一旦会社を畳んでしまった人、それはもういろいろおられますが、筆者としては、事業の成功不成功の前に、その人個人と、いつでもできるだけ率直な話ができる関係でありたいと思っています。

そうすることで、自分の射幸心や虚栄心、妬みといった感情をうまくコントロールし、めんどくさい、扱いにくい中年男(ダークサイド)に落ちないようにしておくことが、これから「年下に雇ってもらう」「年下に仕事を貰う」ことが多くなる、人生下り坂の45歳からの処世術としても有益ではないかと考えています。

かつて応援していた人が、限りない力を付けた場合は素直に喜びたいです。

かつて応援していた人が、たとえ事業がうまくいかなくても、その人の目が前を向いているなら、引き続き応援して、できるだけのことはしようと思います。

人は弱いものには優しい、といっても、弱いものに優しくするときに感じる強いものとしての優越感からやってること、では寂しいものだと思うのです。

ここから自由になれない限り、応援していた相手が、自分より強く、たくましく、大きくなってしまったなと感じた瞬間に、妬みや嫉みに変わってしまいます。

最近は、会えるアイドル、手に届くアイドルというのも増えてきたので、例えば、ZZZ48、みたいなアイドルグループの、自分の最初の推しメンが、人気出てしまって、メディアなりSNSなりで活躍しているのを見ると、勝手に、自分の許可なく生意気だみたいな負の感情に支配されてしまう、そのようなことと似ているのかもしれません。

人の専属応援する前に、とりあえず自分が前に進んだほうが良い景色が見れるだろう、と思い直して、とりあえず明日から本気出そうと思った筆者からの記事は以上です。

(2019年12月22日 「冬至」日曜日)

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