(2016/10/29)いわゆる文系大学院卒は職に就けずに食っていけないのかを考察します
おはようございます。
2016年10月の筆者提供の学卒院卒(特に文系)に関するブログ配信記事です。
学業に一区切りつけて企業へ就職するに際し、大学学部卒を超える学歴は武器となるどころかむしろ邪魔な存在となりつつあるのかもしれません。
その同じ時間を企業の新人教育と実務に充てる企業側としては、いくら高度な専門知識を身につけているといっても特に文系大学院などは趣味の延長かという声も正直あるようです。
経済界の新卒採用らの視線は冷たいです。
名だたる大学院を出たとしても実社会の経験がないところを敬遠され、企業では使いにくいとされてしまうようです。
良くても非正規雇用やアルバイト、そうでなければ無職となってしまうポスドクといわれる者たちが続々と生まれています。
大学院重点化は文部省の音頭で始まりました。
折しもバブル崩壊後の就職難と相まって、学部卒の学生をそのまま大学院にうまく誘導することはそんなに難しいことではなかったようです。
21世紀には修士博士の政治経済界での必要性は飛躍的に高まるとの期待のもと、統計で1991年に10万人だった修士・博士は2011年には約26万人まで増加しました(文部科学省:平成23年度「学校基本調査」より)。
しかし出口としての就職を遅らせただけである面も否めません。
そんな状況を評して「高学歴ワーキングプア (フリーター生産工場)としての大学院 (光文社新書:水月昭道著)」という本まで出ています。
大学を出たけれどとは昭和初期の恐慌時の言葉ですが、平成の今では大学院は出たけれどということになっているのかもしれません。
自らが多くの学費をかけてもらっていながら、自らは家族どころか自分自身を養えないという悲しい状態です。
この状況自体が大学院卒の人たちの精神を蝕むであろうことは想像に難くありません。
多くは真面目な人たちなのです。
大学院を出て博士号を取っても、非常勤講師だけではとても充分な収入とは言えず、帝大卒ならばそのへんの家庭教師のバイトや塾講師のほうが儲かってしまいます。
生活費に加え資料代や研究費などの経費も原則自己負担ですから、追加でアルバイトに精を出すしかありません。
新司法試験制度と同様、大学院卒の修士博士の就職先として「出口」となるべき経済界の理解が全く得られませんでした。
経済界からすれば、一人前の新人というのは22歳の大学学部卒というのがベストで標準で、大学院修士のプラス2年が新卒としては限界で、中には一浪一留した学部卒と同じ待遇というところもあるくらいなのです。
新卒一括採用、年功序列賃金を温存する企業にとって、学部卒と同じく就労経験はないのに、年齢は上なので高い給与を払わなければならない存在である修士・博士の採用は残念ながら敬遠されます。
なんと安田講堂がある大学ですら、大学院博士課程修了者の就職率は現在でも半数強との状況です。
そして、大学に残るにしても博士が大学教員として正規雇用されるかは、研究実績よりもポストに空きがあるかどうかという要素が強いです。
強いというより最早それのみといっても過言ではありません。
大学院生を増やしても、上の世代がポストを空けなければ行き場はありません。
また、カタカナユニークキラキラ学部への相次ぐ衣替えに象徴されるように、大学側が教科ごとに正規教員を抱える余裕をなくしていっており、その流れから都合のよい非常勤講師を増やしていく傾向も状況悪化に拍車をかけています。
そうして大学教員の派遣社員・契約社員化も進んでいます。法科大学院の惨状と同じく、国の音頭に乗ってよいことはあまりないということの証左なのかもしれません。
ノーベル賞が続出しているこの国の、研究基盤の裾野の整備が必要です。
今日は少し真面目な話をいたしました。
将来を悲観したのか文系大学院博士課程在学中(博士論文執筆中)に自ら命を絶った学友を持つ筆者からは以上です。
(平成28年10月29日 土曜日)