(2019/12/12)やっぱり「やりたいからやる」という話です

トルコ・ネムルト山の首だけ石像遺跡

おはようございます。

やりたいからやる、という話をします。

成功だけを蓄えて、それを思い返して悦入りする、そんな人生は真っ平ごめんだ。

人生は積み重ねるものではない。

積み重ねる、と言っている人は、自分も含めて、無意識のうちに自分を誤魔化して、世間的にも自分的にも良い、成功したと自己規定した事実を、多分の潤色を加えてため込んでいる。

そんなのは、クソの役にも立たない。

むしろ邪魔になる。

私は、この人生の積み上げてきたものやコトを、逆に追い散らし、減らし、フラットにしていくべきだと思う。

掃除をすればゴミが出てスッキリするのに、人生という、本当に貴重な蔵の中を、ごちゃごちゃした過去の遺物で満たそうとするのはなぜなのか。

蓄えれば、蓄えるほど、心が堆積物にまみれてかえって身動きが取れなくなるのではないか、過去のいつのまにか美化された虚構の蓄積にこだわると、却って身動きが取れなくなるのではないのか。

人生を本当の意味で生きて、挑み、勝負をかけるためには、毎日毎朝、それこそ一瞬一瞬を、新しく生まれ変わったような気持ち、そう、かの北畠親房が南北朝時代の著書、神皇正統記で発した

あめつちのはじめはここにはじまる
天地の初めはここに始まる

一瞬一瞬、新しく生まれ変わって今の瞬間、運命を拓くのだ。

そのためには、過去を振り払った無一文、無条件で運命に対峙しないといけない、過去やまわりの状況、諸条件を捨てれば捨てるほど、本当のいのちの鼓動が膨らんで、純粋にやる気が出てくる。

生きているという実感が湧いてくる。

毎日のつまらないルーティーン、例えば顔を洗うとか歯磨きをするとか、そんなこともすぐれた意味を持ってくる。

要は、自分自身が全てを決めて、その結果起こった責任を負うということなのだ。

自分に忠実とか、自分に正直とか、そんなコトを外向けに言う人に限って、自分もそうだからよくわかる、自分の堆積物を後生大事にして、自分を破ろうとしない

自分の残骸やガラクタを積み上げて、賽の河原のように、悦入りしている

そんなものは、蹴飛ばして崩してこれからの自分の人生を歩き始めた方がいい。

社会的な立場や世間体、そんなものこそ全てフィクション、虚構だと知るべきだ。

あなたが思うほど、世間や世界はあなたのことを認識していない。

あなたがたとえ今死んでも、世間や世界はまるで変わらず回ってゆく。

あなたがそれだけ忠節を尽くしても、別に世間は報酬をくれやしない。

むしろ迎合不足だ、もっと迎合しろ忖度しろと、より責められるのが関の山だろう。

社会的な状況や世間体を考えて、無難に生きる、それはそれを決めた自分が一番悪い。

それではダメだ。

自分と向き合う。

自分と闘う。

その後ろの世間体という幽霊とも当然闘う。

それか無視する。

しかし、そのあがきが人生の味を深くする。

そういう、筋とか軸を持って、自分自身の、オリジナルの本当の人生を生きるにはコツがある。

考えすぎず、自分らしくあろうなどと考えず、ひたすら一個の、人間として、人間らしく生きて死ぬことを考えるのです。

自分に対して、厳しく人間らしさを追求する。

寝て起きて、動画見て食って便所行ってまた寝るのが人間らしい人間なのか。

真心を尽くして人間の才能を信じて、厳しく、自分を鍛え、自分の自分に対する期待に応えて、自分のやれることを食って寝て、以外にもひとつでも増やす、これが自分らしく残酷に、人生を使い切る旅に挑むことだ。

自分を鍛えて、自分のやりたい運命に身を賭けること、そうすれば時間が本当に大切になってくる。

ヒトの作った動画などぼーっと見ているのなんかが惜しくなる。

他人の広告収入という養分から、人間への回帰だ。

つまり、自分の最大の敵は己自身であり、間違っても、勉強しろとうるさい保護者や教師などでは全くなく、まわりの堕落に誘い込む友人でもなく、それらぜんぶひっくるめて、その状況に無条件で一番甘えた対応をソリューションとして提示してくる自分自身の脳みそそのものであるとここに断言する。

原因は、全て自分にある。

国家が、教育が、社会が悪いのではない、

悪いのは、澱んで流れている自分自身。

ほんとうの人生を歩んできっちり死に正面から向き合って、笑って死ねるかは、まさにここに、かかっていると言って過言ではない。

安易な、安全な生き方をしたいと思うならば、そんな自分の中身を変えて戦おう。

2つの道があって迷うとき、より人間らしいと思える方に行く、これが動くカカシと人間との、大きな違いになるだろう。

人生はそんな、一瞬一瞬の自分に向き合う厳しさを持っているからこそ輝くのだ。

生きるというのはどういうことなのか、まだまだわかりませんが、命を粗末に扱い、これからも挑戦していきたいと思います。

ブログは保守的な筆者からは以上です。

(2019年12月12日 木曜日)

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