(2019/02/15)日本の仏教の隆盛について浄土真宗と曹洞宗を例に論じてみるという記事です

おはようございます。

2019年2月の自分を見つめ直すための配信記事です。

日本の仏教の隆盛について語りながら、結局のところ大切なのは創業者も大切だけれども2代目以降の働きもまた同じくらい重要であるという「真理」「定義」に迫ろうとする意欲的な記事になります。

日本において仏教が伝来して、そうして奈良時代に最澄と空海、不謹慎な筆者などは、「今夜は最澄(最高)」「これ、空海(食うかい)?」と覚えたりしたもんですが、その二人の天才を経て、あと官制東大寺といった宗派で奈良時代の仏教は興隆します。

しかし、長い平安の世を経て、世は武士という階級が力をつけてきてその長たる「幕府」というものが世の行政の実験を握りつつある鎌倉時代に突入しますと、仏教もその時代のニーズに即したものが求められるようになり、そこで、その時代が産んだ、まさに鎌倉仏教の創始者たちという天才たちの活躍が始まるのです。

念仏の法然、親鸞、そして座禅の栄西、道元です。

法然は念仏を昇華させた浄土宗を開きますが、最初その弟子として、そしてそれを敷衍し、悪人正機というコペルニクス的転回を見せ、世俗に塗れて悟りを開いた親鸞という在野の大天才が生まれ、浄土真宗が成立します。

浄土真宗の開祖親鸞が書いた本、歎異鈔(たんにしょう)には、「善人なおもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」とありまして、 善人(自力作善の人)は自己の能力で悟りを開こうとし,仏に頼ろうとする気持が薄いと断じ、煩悩にとらわれた凡夫(悪人)こそ仏の救済に頼るしかないとの気持が強く、より阿弥陀仏に救われるのであるとしたのです。

天才かよ、という感じです。

しかし、このあまりに時代の先を行き過ぎていたと思われる親鸞の教えは、一旦断絶寸前まで縮小されます。

これを後の世に、今の北陸地方から一気に盛り上げた、蓮如というこれまた組織形成(マネジメント)の大天才が現れます。

蓮如は、この親鸞の教えを、「御文」という紙片にしたためたものを大量に印刷して配布し、そうして一気に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の浄土真宗教団を創り上げていくのです。

そうして、戦国時代の世俗の権力の親玉である、織田信長や豊臣秀吉、それから徳川家康まで反抗したり恭順したりしながら、最終的には現在の京都駅の目の前に、西本願寺(龍谷山本願寺)と東本願寺(真宗本廟)という、来た人を驚嘆させる最大級の巨大な寺院でもって、その威厳を現代に誇っている、というわけです。

安土城も聚楽第も、そして江戸城も、まあリサイクルして皇居としてお使いいただいておりますが、時の権力者の居城や城郭は廃されていく中、西本願寺と東本願寺は、何百年もの時の試練を経て、そうして今や世界中から訪れる人々の度肝を抜く存在感を放っているというわけです。

もう一つ、世俗を離れた幽玄の地において、ひたすら座禅を組み自らに向き合うという禅宗が生まれました。

最初に禅を宗派にまで高めた栄西、そしてその死後に修行に入ったため栄西の教えを直接受けることができなかった道元という、名門貴族の生まれながら幼い時に父母を失くし、人生経験に非常な影響を受けた多感な少年が仏門に入ります。

道元は、当時の中国の「宋」に渡り、そこで得た師匠の天童如浄の「身心脱落」の語を聞いて、4年の修行ののち、得悟します。

中国曹洞禅の、只管打坐の禅を如浄から受け継ぎ、これを日本に持ち帰り、師匠である如浄師の「ただ深山幽谷に居を構え、これぞという器の者に法を伝えて、教えを絶やさぬように」という言葉に従い、今の福井県吉田郡の文字通り静寂な山の中に、大本山永平寺を開き、ここを曹洞宗座禅の根本道場とするのです。

そうして、道元禅師没後実に800年弱の長きにわたり、この永平寺では現在でも200人以上の雲水(修行僧)が日々道元禅師の「法」を学び修行に励んでいるのです。

永平寺の雲水の修行は過酷です。

夏は3時半起床、冬でも4時半起床です。

朝(というか夜中)から座禅、読経、そして作務(さむ)と呼ばれる労働、それから簡素な食事、白山登山といった修験道にも通じる遠征、そんな過酷な環境に、自らを見つめ直すため、全国から修行僧たちはやってくるのです。

日本の仏教を例に出しましたが、こうした歴史ある宗派というものは、創始者の偉大さもさることながら、その時代その時代を必死に生きた、各時代の名もなき先人たちの賜物であるということが改めて良くわかります。

そうした偉い先人たちから今の時代を託された我々も、少しは自らを見つめ直して、生活すべては修行だと説いた道元禅師の教えに従い、言うなれば、少し我慢ができるようになりたいものだと思いました。

トラブルが起こった時、怒りの感情が高ぶった時、そんな時に、自分を客観視してどのくらいの状態にあるか、冷静にだいたいはかれるようになってくると言います。

それが、毎日の修行の日々から得られる成果だそうです。

生活すべてが修行、でしばらく頑張っていこうと思います。

ここまで書いておきながら、加えてご先祖の菩提寺は曹洞宗(上天草市松島町教良木2365 淘汰山金性寺 寛永19年(1624年)天領天草代官鈴木重成公が、三代将軍家光の名を受けて開いた曹洞宗の名刹)でもありながら、それでもなおまだ総本山永平寺を訪れたことがない、人生にやり残しの多い筆者からは以上です。

(2019年2月15日 金曜日)

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