自死した我が友水谷康弘君に捧ぐー承認欲求についてつらつら考えてみたことを書いておきますという記事です(2018/07/23)

おはようございます。

2018年7月の承認要求に関するビルメン王提供のブログ配信記事です。

ちょっとした(オンライン)ゼミのワークショップにおいて、承認欲求についての話題になりましたので、筆者も少し考えてみました。

承認要求とは、人に認められたいと願う人の欲求のことです。

この、誰かに認められたいという社会的欲求は、誰しもあるものであり、それは適度な緊張感を呼び起こし、自らの行動の源になるものだとも思っていたのですが、最近そうでもないなと思い始めました。

自分も、他人の評価を得たいと思って努力しチャレンジするという前向きなイメージを持っていたのですが、ひょんなことから、その他人から認められたいと思う自分自身のほうが、きちんと他人の個々人をそういった観点から「評価」「評定」しているかといえば、全くそんなことはなくて貧相な自己イメージで相手を勝手に批評している程度にすぎないではないかと思ってしまったわけです。

自分自身の面倒をろくに見ることすらできないのに、他人を偉そうに評価することができますでしょうか、という感じです。

そういうわけで、今に至っては、(ごく限定された仕事とか芸術の特定分野とかいう場面であっても)他人に承認ばかりを求めることは危険であるという感じるようになりました。

これは、筆者の大学からの友人のことも大きく影響しています。

大学の法学部同期から転部して文学部に転じ、そして修士博士と進んでいったところ、ずっと指導を仰いでいた担当教官の転勤(自大学から他の大学への転籍)などがあり、自らとは説を異にするところの次席担当教官が所属研究室において繰り上がり教授となり指導教官となった挙句、ろくな指導を受けることもなく、そのまま当該大学院生は、それでも研究成果をまとめて博士論文の草稿として事前提出しましたが、その担当教官は当該大学院生と十分に議論せず受け取りを拒否した、という博士論文不受理の最中、事態は当該大学院生の突然の自殺で闇の中という「事案」「事件」を経験している身としましては、他者の評価などどうでもよい、自分が生きてこそ、という思いを強くする出来事でございました。

もちろん、ここに書いたことは筆者の単なる「推測」「推理」に過ぎませんのですが、当該大学院生、であった筆者の大切な友人はもはや絶対に生き返らないという厳然とした「事実」だけは残っており、そしてもはや真実がなんであったのかを調査し明るみにする機会は永久に失われたのであります。

だけど筆者は自分が死ぬまでこのことを覚えて、そして考えるでしょう。

他人から良い評価をしてもらえるように先回りして行動するということは危険です。

それは、行動の価値判断が自分軸から他人軸に振りかわることを意味し、それはそのまま自分の人生を生きていないということになるのです。

ああ、我が友水谷君よ!

君は日本のクソ大学の大学院博士課程なんかすっ飛ばして、そのまま世界に雄飛すればよかったのです!

そして、くだらないアカデミック・ハラスメントなんかどうでもいい、気にするな、君の研究は素晴らしい大丈夫だ世界が認めていると、我々友人はもっと強く、強烈に彼に伝えてあげるべきだったのです!!

現地のタイ国の警察制度という研究対象に対し、原文のタイ語で書いた論文など読めない、せめて英語か日本語にしろと迫ったとか言ったのならば、それが学術的「指導」の名に値するのかどうか、こちらは学部卒に過ぎない浅学ですが、そのような「(指導)教官」と言われる方々とは、一度とっくりと話し合ってみたいと思っております。

さて、他人に人生を握られるのではなく、自分の人生を生きる方法は、やはりここでいう承認、に説明を加えて「自分自身」を入れることではないかと思います。

自分のやっていることを認める、自分の心象を認める、自分の存在価値を自分だけは認めるということです。

そうすりゃ、少々の他人の批判や無関心など、大したことはなくなります。

自分の意思決定の過程において、他者との関わり合いはとても大切だと思います。

しかしながら、自律し個が確立してからの語り合いでなければ、単なる他者への忖度人生に堕する危険もあるのではないかと思いました。

同じように、何かの成果を比べるにしても、他者基準や他者評価より、自分基準や過去の自分との比較をしたほうが有益で軽やかだと思います。

成人式を2回も超えてまいりますと、他人は他人でコントロールできない、変えられるのは自分のみ、という傾向を強くなっておりまして、その方が他人の自由や権利を尊重する、ということにもつながると最近とみにそう思うのです。

変えられるのは自分だけ、そうすれば世界が変わる、とは誰かの名言でした。

意外に真実はシンプルにできているのかもしれません。

いろいろと書きましたが、飲み会と夜のラーメン好きはどうしても変えられない筆者からは以上です。

(平成30年7月23日 月曜日)

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