(2020/01/07)奥さんは何をやっているのかが一番疑問だと思う有名な例え話の考察から過剰なディスクレーマーの弊害について述べた記事です

専業主婦のイメージ(ステレオタイプ)

おはようございます。

2020年1月の働き方、生き方について論じてみようと思う記事です。

さて、よくあるネットで流布している、田舎(この場合はメキシコの田舎)の漁師とハーバードMBAホルダーとの小話を聞いた事がある人は多いと思います。

このお話は、中国で生まれた「一炊の夢」と同じように、いわゆる人間の生き方というか幸福とは何かというようなことを、いろいろ考えさせられる、そのような話になっておりますので、以下少し長くなりますが引用したいと思います。

メキシコの田舎町の海岸に、小さなボートが停泊していました。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきました。
その魚はなんとも活きがいいです。

それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねました。

すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えました。

旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。惜しいなあ」と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言いました。

「それじゃあ、余った時間でいったい何をするの」と旅行者が聞きますと、漁師は怪訝な顔をして、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタ(午睡)して。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌を歌って…これでもう一日終わりだね」と答えました。

すると旅行者は真面目な顔で漁師に向かってこう言いました。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それで余った魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるだろう。そうしたらもう仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れて販売するんだ。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ。資金調達の相談は喜んで引き受けるよ!」

これを聞いた漁師は、さらに怪訝な顔をして尋ねました。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」

と旅行者はにんまりと笑って、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌を歌って過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

漁師は尋ねた。

「それ、私の今と一体何が違うんです?」

ネットにある小話を筆者が独自に修正

さて、ここまでざっと読んで人それぞれ、環境や背景、やってきたことやその時の気分によっても、受ける印象は全然違うと思います。

それこそ、人それぞれ、人生いろいろというやつです。

単純に、「漁師最高やな!MBAホルダークソ」と感じる方もおられると思いますし、MBAホルダーはプレゼン相手を間違えただけ、と思った人もいるかもしれませんし、漁師せっかくのチャンスをフイにしてざまあ〜、と考える人もいるかもしれません。

これは、もちろん正解などなく、世の儚さを表したものと捉えてもいいですし、結局、フナ釣りがフナに戻る、というか初心にかえる、といった話と捉えてもいいですし、琵琶法師が弾き語ったところの「諸行無常」(平家物語)を示したものと同類だと考えてもいいのですが、明らかに違うところを一つだけ挙げるとすると、「今」漁師として漁労で身を立てている(生活している)漁師の生活は、非常に不安定であり、魚が取れない、船が故障した、といったリスクと隣り合わせであること、大企業を創業して株長者になって同じことを「趣味で」するのは全く違う、ということがある、と筆者は考えました。

外形的には同じことをしているようであっても、そのやっている心持ちは全く違う、要するに生活の手段(稼ぎ)としてやっているか、純粋に趣味「やりたいからやる」という気持ちでやるのか、それが大きな違いで最も大切だというのです。

世界中のリゾートホテルを巡って試泊しながら、その様子をブログやSNSにアップして、そのリゾートの施設や場所の「宣伝」を行うプロとして世界中のリゾートを旅する人が、それを「職業」として行う場合、非常につらいこともあるはずなのです。

純粋に休暇として、リゾートを楽しむ、というのと、外形的には全く同じでも、その心象風景はかなり違ったものになるでしょう。

筆者は、この話を読んで、こうした「プロとして(稼ぎの手段として)」取り組むか否かの心構えの話であって、やっていることの外形面ではまったく区別がつかなくなってきた、このような時代に突入してきたと感じることが多くなりました。

同じそば打ちでも、趣味で打って友人知人に振舞うのと、蕎麦屋を経営して、そこで打つのでは、まるで違うということです。

お金をもらって、稼いでこそプロ、というのは、「原価で欲しけりゃ自分で作れ」というネットスラングにもあるように、最近はよく言われるようになりましたが、2020年(令和2年)にもなりますと、もはや仕事と趣味の境目は極限まで曖昧になってきており、唯一の違いは、作業者(サービス提供者)の心持ち一つであるということくらいになってきているような気がしています。

そうすると、この寓話は、こうしたサービスの行き着く先を示しているともいえまして、心から作業やサービスを、完全に自由に愉しむ地位を得るために仕事を頑張る、という新たなモチベーションを生むとして読むのが正解なのかもしれません。

さて、ここまで論を進めておいて全く違う観点から申し上げて何なのですが、ここに出てくる「奥さん」とは一体何なのでしょうか。

「奥さん」というのは、専業主婦というのを「意識」した書き方だと思うのですが、この世界的な少子化、かつジェンダーフリーな世の中にかような一方に偏った登場人物を登場させていること自体が、昭和以前の発想だと思ってしまうのは筆者だけでしょうか。

つまり、ここでは、奥さんと余暇を愉しむ、というのは、「奥さん」の方は全く仕事、プロの世界にはいない、ということを前提としていてこれはおかしいと思うのです。

しかも、MBAホルダーも漁師も「男性」であるのもおかしいです。

ですので、この話を2020年の現在、令和2年の今語るならば、ある、女でも男でもいいけど特に特定しない単数形の「人」(うまい言葉が見当たらない)が漁労に従事していて、これまた女でも男でもいいけど特に特定しない単数形のMBA資格保有者の「人」(最近英語では単数形のtheyという言葉が出てきたようですが、相変わらずうまい言葉が見つからない)がやってきて、女言葉でも男言葉でもない、中性的な丁寧語でのやりとりを行い、「奥さん」などという特定する言葉は使わず、「パートナー」とでも言い換えて、さらに、そのパートナーも当然に仕事に従事している、またはいた、ということを前提としなければ辻褄が合わないでしょう。

さらに子供についても、「実子」に限らず、男同士女同士のカップルも前提に、当然「養子」を含むとしなければならないのです。

以上の「検討」を行い「考慮」した結果、先のお話は以下のように筆者独自の作業結果の上で「修正」されることになるでしょう。

あるいわゆる「発展途上国(国連定義による、以下同様)のカントリーサイド(いわゆる地方圏、経済格差が激しい地方を想定するが特定はしない)の海岸に、小さなボート(ただし一定の安全性は認められるので読者は安心されたい)が停泊していました。
メキシコ(現在発展途上国である国家の国民であるが、数十年後には着実な経済成長を遂げることが大いに期待される国家の国民であるところの)人(男か女かは問わない、ご想像にお任せします)の漁師が小さな網に魚を取ってきました。

その魚はなんとも活きがいいです。

それを見たアメリカ先進国と一般に思われる(該当の発展途上国から見れば)外国人旅行者(女か男かは問わない、読者それぞれに想起するものは違うと思いますがそのまま読み進めください)は、

「すばらしい魚ですね。どれくらいの時間、漁をしていたのですか」 と(何語かは当方から特定は致しませんのでご想像にお任せします)尋ねました。

すると漁師は、

「そんなに長い時間ではございません」(この言語についても同上のとおりです)

と答えました。

旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたのではないですか。おしいことですね」と言うと、漁師は、自分と自分の(パートナーを含む)家族が食べるにはこれで十分だと言いました。

「それじゃあ、余った時間で一体何をするのですか」

と旅行者が聞きますと、漁師は怪訝な顔をして、

「日が高くなるまでゆっくり寝まして、それから漁に出ます。戻ってきたら子ども(女か男か実子か養子か近所の子かはともかく、とにかく人間の子供であることは確定しています)と遊んで、(同じく仕事から帰ってきているならば)パートナー(実際に法的に婚姻しているかは問わない、事実上の婚姻およびその同等状況を含む)とシエスタ(午睡)したいと思います。また、夜になったら友達と一杯やりまして、ギター(ギターは英語圏内で使われる言葉なので、この場合は三味線等も含みますが特定は致しません)を弾いて、歌を歌って…これでもう一日終わりですね」と答えました。

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言いました。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、あなたにアドバイスしたいと思います。あなたは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだと断言します。それであまった魚は売るのです。お金が貯まったら大きな漁船を買います。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増えます。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくのです。やがて大漁船団ができるまでです。そうしたらもう仲介人に魚を売るのはやめにいたしましょう。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れるのです。その頃にはあなたはこの小さな村を出てメキソコシティこの今いる発展途上国の国の中でも経済発展しているであろうと推定される同国の首都へ引っ越し、それから、ロサンゼルスいわゆる先進国の中でも経済発展の著しい、新大陸とかつて言われた領域の多くを占める覇権国家のような軍事力経済力ナンバーワン(2020年現在)である国の例えば西の方のメガロポリスや、かの国の首都に程近い、退廃と娯楽がないまぜになったニューヨーク世界経済都市などに進出していくことでしょう。あなたは、マンハッタンはそのような世界都市の中心街を睥睨する立地と高さのあるいわゆる高層オフィスビルの一角から、この全体の企業グループに成長した企業集団を指揮するのです。資金調達の相談は喜んでお引き受けいたします」

これを聞いた漁師は、さらに怪訝な顔をして尋ねました。

「そうなるまでにどれくらいかかるのですか」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくでしょう」
「それからどうなるのですか」
「それからですか? そのときは本当にすごいことになりますよ」

と旅行者は笑って、

「今度は株をマーケットに売却して、あなたは億万長者になります」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの人口小規模のヴィレッジに住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、年が若く法的若しくは事実上の家族と主観的にも客観的にも同視される子供と遊んだり、(こちらもたまたま仕事の休みの都合が合えば)パートナーとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、三味線(これは例示であることは同上のとおり)を弾いて、歌を歌って過ごすのです。 どうでしょうか。すばらしいではないでしょうか」

漁師は尋ねました。

「それ、私の今と一体何が違うんでしょうか?」

ネットの寓話を元に筆者作成した二次創作作品

さて、平等さや正確性、およびジェンダーに関する批判批評を避けようと意識するあまり、あまりに注釈かつ前提や言い訳の多い、読みにくい文章になってしまいましたが、これからの世の中では、批判批評を受けないようにするためには、このように全てを中性的に、ジェンダーフリーに記録するか、さもなくば、全て異世界異次元のこととして処理するかしか、対応のしようがないくらいに考えておりまして、一体誰がここまで表現しにくい世の中にしたんだろうと訝しげに考えてばかりの筆者の日常でございます。

よく行く外食チェーンでも、伝票を男性側(父親側)に置かれる問題というのがありまして、筆者などは誰が払うかなんてわからないのだから、ジェンダーフリーを要望するならテーブルの真ん中に置いて欲しいと思わずにはいられません。

かような状況でありますので、このブログのこの記事についても、例の「ディスクレーマー」を最後に附して、リスクヘッジを行っておきたいと思います。

ディスクレーマーとは免責事項のことでして、契約社会になりました昨今では、企業等の商品や役務の提供者は、契約書や商品自体やプレゼン資料やブログ記事にさえ、余計な責任を負わないために、これでもかと免責事項を置いてきます。

例えば、瑕疵担保責任は一切負わないとか、損害賠償の限度額は契約額や報酬鵜額に限定されるとか、このような場合に責任は負わないとか、このような場合しか責任を負わないとか、そもそも一切責任は負わないとか、劇中の作者の発言は製作者の当社の意図を反映するものではございませんとか、そういった、要するに言い訳だらけの羅列です。

ちなみに筆者も某相手の契約交渉で、その相手方があんまり免責条項に拘るので、あなた方は製作者、サービス提供者としての矜持や心意気というものはないのかと思ってしまい、表情に表してしまったことがあります。

しかしながら、契約社会においては債務不履行や不法行為に基づく損害賠償の範囲がかなり広範であり、うっかり黙認したために賠償すべき損害額が高額になりかねない面もありまして、また、自らコントロールできない事象によって余計な法的責任を負うことは避けたいという気持ちがあろうことも理解できなくはありませんし、もちろん筆者もそうですので、先の批判は置いておき、筆者も自己保身のため、このブログを続けるためにも、免責事項を練っておこうと思います。

“The views and opinions expressed by Kristoff in the film that all men eat their own boogers are solely his own and do not necessarily reflect the views or opinions of The Walt Disney Company or the filmmakers. Neither The Walt Disney Company nor the filmmakers make any representation of the accuracy of any such views and opinions.”

このように、世界的に映画配信事業を行っている、ディズニー社ですら、同社制作の映画(FROZON)のいち登場人物の劇中のセリフ(男というものは鼻くそ食べるものだ)は同社の見解を表しているものではないとネタでしょうがエンドロールで述べているくらいです。

The views and information discussed in this blog are as of Jan 07, 2020 are subject to change, and may not reflect the views of the writer as a whole. The views expressed in world commentaries are at a specific point in time and are opinions only and should not be relied upon as a forecast, or comnents or advice regarding a particular situation or the markets in general. Information discussed should not be considered a recommendation to purchase or sell things.

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こちらからは以上です。

(2020年1月7日 火曜日)

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