二重基準

二つの事故報道を比較したとき、日本のマスメディアの姿勢には看過し難い歪みが存在する。福島県の高速バス事故では、事故直後からCG映像が制作され、運転手の氏名・年齢・顔写真まで大々的に報じられた。他方、辺野古沖のボート事故では、高校生が命を落とす重大事故であったにもかかわらず、船長の実名報道は限定的であり、報道全体も極めて抑制的であった。この落差に対し、多くの国民が強い違和感を抱くのは当然である。

本来、報道とは政治的立場や社会的空気によって扱いを変えるべきものではない。事故原因の究明、再発防止、社会的検証のために必要な情報を公平に提示することこそ、報道機関の使命である。しかし現実には、「どの立場の人物か」「どの運動や思想に近い案件か」によって、メディアの温度差が露骨に変わっているように見える。

特に近年、日本のテレビ報道には「政治的に扱いやすい相手には苛烈に迫り、扱いに慎重になる対象には沈黙する」という傾向が強まっている。一般市民や民間企業には容赦なく実名・顔写真・私生活まで晒す一方、特定の政治性を帯びた事案では、加害関係者への追及が急に曖昧になる。このような二重基準は、報道への信頼を根本から破壊する。

もちろん、実名報道には慎重論も存在する。しかし、それならば全ての事案に同じ基準を適用しなければならない。ある事故では「公共性」を理由に徹底報道し、別の事故では「配慮」を理由に情報を抑えるのであれば、それは公平な報道ではなく、恣意的な情報操作との批判を免れない。

メディアは「権力監視」を掲げるが、その前にまず自らの報道姿勢を監視すべきである。視聴率や政治的空気、SNS上の反応に左右され、案件ごとに論調を変えるならば、もはや公共機関としての信頼性は維持できない。国民が求めているのは、感情的な煽動でも選別的な正義でもなく、一貫した基準に基づく誠実な報道である。今回のような著しい扱いの差は、日本の報道機関が抱える深刻な病理を改めて浮き彫りにしたと言わざるを得ない。

要するに、人の心がなく、無責任で他責主義で、自尊心だけ肥大してるのに乞食のような被害者ムーブをかます左翼パヨク界隈の人間性は、見下げ果てようもない漆黒の底なし沼に吹き溜まっている、ということです。日本は法治国家です。被害者と遺族の“傷”が少しでも癒える帰結を強く望むものです。

以上