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(2020/01/15)お金はしてもらうことや同じ方向に人のリソースを振り向けるイリュージョンに過ぎないという話です

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名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)です

おはようございます。

2020年1月の、資本主義とは、お金とは何かということを改めて深く考えてみたという記事になります。

結論を先に出すと、タイトルのとおり、お金はしてもらうことや同じ方向に人のリソースを振り向けるイリュージョンに過ぎないという話になるのですが、この、イリュージョンというのが大切な概念なので、より深く掘り下げてみたいと思います。

今と、過去のある時点での、お金によってできることの価値は、実は同じようなものなのです。

人間の数が有限で、その人間社会とその社会が触れ合う自然を作り替えること、にかかるプロジェクトコストを、国民総生産的に考えるとすれば、その付加価値の合計が毎年生産される人間社会全体における使えるお金というものも、これもまた定量的に決まるということでありまして、この定量的なプロジェクト糾合力を、貨幣価値や生産高に置き換えているだけ、というわけなのです。

ですので、実は、お金の「単位」について我々があまり意識していないのはそういうことでありまして、例えば昔の1円札といえば、ものすごい価値があったはずなのですが、日本円という尺度が一方方向にインフレしていった結果、今では一円玉の価値は、一円玉1枚を作るコストが大体20円で1万円札と同じといった話になってまいります。

1円の通貨を作るために必要なアルミから生成するコストが20円、これは冗談かもしれないと思われるかもしれませんが本当です。

かように、お金というものが世の中に出てきたはじめには、同様の価値を持つ貴金属(銀片とか金貨とか)でお金はなりたっていたのですが、そのうちに、国家権力といった「ケツモチ」「担保」「バック」がついたことを表象される、偽造しにくい紙幣といった形で爆発的に流通することになったわけです。

そして、少額のコインの方が鋳造コストがかかるという面白い時代になってまいりました。

5円玉、10円玉、そして50円玉、100円玉、500円玉を作るコストのほうが、一万円札を作るコストよりも高いのです。

1円=10,000円、この計算式が成り立つのがお金の世界の面白いところです。

ということで、原価としての価値物(1円玉の場合はアルミニウム)の方に価値を見出す人々が増えれば、一円玉のみで自分の資産形成を行い、別に蔵を建てるなり自分の部屋の片隅に1円玉をうずたかく積み上げるといった資産運用方法を取っているという人も実際にいます。

アルミ精錬業者に引き取ってもらうほうが、原価としての価値が1円より高いからです。

1円のままそういった鋳造に回してしまえば、1円の原価以上の回収が見込めそうなのですが、残念ながら、2020年1月現在の日本では、そのような行為は、貨幣損傷等取締法(かへいそんしょうとうとりしまりほう、昭和22年12月4日法律第148号)によって、貨幣を損傷または鋳潰すことを禁じた法律に違反したということで、罰則に処せられることになります。

せっかくですので、法律の本文をご紹介します。

たった3項の、短い法律です。

第1項 貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶしてはならない。
第2項 貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶす目的で集めてはならない。
第3項 第1項又は前項の規定に違反した者は、これを1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。

ちなみに、本法における「貨幣」とは、「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」に定める貨幣のことです。

同法5条1項に定める「五百円、百円、五十円、十円、五円及び一円の六種類」の貨幣および同法5条3項に定める記念貨幣は、本法の規制対象となります。

しかしながら、1円玉を、商品として、1円玉以上で売買するというのは、ただちに、本法に触れるものではありません。

このように、お金を、その概念とそれを表象している「物」とで分離することが非常に難しいということが分かってもらえたかと思います。

これが、イリュージョンということです。

アルミの原料として使えるのに、わざわざ1円として流通させることを、国家権力が「強制」しているのです。

ただの印刷した紙きれなのに、1万円としてみんなが使え、ということを、国家が強制してその流通を担保しているのです。

一人くらい、この日本銀行券の価値を認めない人がいたとしても、その人を排除したほかの人たちは、相変わらずこの紙切れに1万円分の価値を認めているので、全く問題はないのです。

国民の過半数が、突然この紙幣の価値を「紙」並みに認識し始めたら、話は別ですが、長い経済社会の構築により、自然と、我々人類は、生まれながらにこの通貨、お金というものと付き合うことを通じて、将来の「安心」を得ようとするようにプログラムされるように自らを作り替えた、といっても過言ではないでしょう。

何しろ、紙束を持っているだけで、将来生きていく可能性が高いと大いに「誤認」した人たちで地球上があふれているわけです。

紙は食べられませんし、暖を取ることもできませんし、ましてや建築資材としても大した役に立ちません。

唯一、燃えやすい、くらいでしょうか。

それでも、この「お金」という概念=イリュージョンが世界中の人類に敷衍した結果、このような「お金」という概念を「保有」している人は、このお金で人のエネルギーや時間や制作物を、ある程度独占できる(交換できる)というイリュージョンによって安心し、心健やかに生活することができるわけです。

そして、このお金の「総量」が一体どれだけの人類の集団としての力を一方方向に発揮することができるのか、それは、過去の歴史の事例が教えてくれます。

私は日本人なので、日本円で換算したほうが何となくわかる気がするので、日本の歴史上の出来事でたとえますが、世界の人には、例えばカエサルのガリア遠征やアレクサンドロス大王の東方遠征、モンゴル帝国の世界制覇などのプロジェクトにどれだけの「コスト」がかかったかを調べてみれば面白いと思います。

筆者が挙げたい日本の事象は、①大坂冬の陣で浪人たちを糾合した豊臣家が支払た金銭、②日露戦争遂行のために、大日本帝国がロンドン市場で外債で調達した金額、といったところです。

①は、1615年くらいに起こったことですが、豊臣家が最盛期を誇った石高が260万石といいますから、260万人を1年食わせるためのコストということで、2020年現在の1人200万円と考えましても年間5.2兆円の兵隊維持コストがかかる、すなわち、2020年の日本の防衛予算をそっくり使い切るくらいのお金が軽く使われたことは間違いなく、おそらく豊臣家は、10万人といわれる浪人衆を、それこそ破格のお値段でかき集めたわけですから、戦時予算として、年俸平均で20倍~30倍、すなわち(死ぬことが相当程度想定されるのですから)4000万円から6000万円程度の年俸水準でかき集められた、ということが相当でしょう。

対する、徳川軍も、徳川の総力を駆使して、さらに配下の各大名も動員して、どう見ても豊臣方の3倍は動員していますから、総合しますと、2020年時点での貨幣価値で言って軽く20兆円(国家予算の5分の1)を超える大イベントが大坂の一地方で行われたということになります。

もっとすごいのは、②日露戦争の事例です。

これは、1904年に行われた、日本の総力をかけた戦いでありまして、お金のない日本は、日英同盟による英国の仲介で、ロンドン市場で日本国外債を発行しましたが、その総額が当時の国家予算の7倍にも達した、というわけです。

2020年で換算すると、実に、700兆円です。

日本の中の内輪もめ、であった戦いに比べ、破格の、コストの拠出です。

しかしながら、この「お金」の力があったからこそ、こうした大プロジェクトを人類は遂行することができたわけです。

ロシアに勝たなければ、この日本の外債など紙屑です。

しかし、利回りが何パーセントというような計算を度外視して、日本に張った投資家が勝った、日露戦争の結果となりました。

このように、お金というものは、人類を同一方向に向かわせ、強大な力を糾合させられる、恐ろしい武器にもなる人類史上類を見ない大発明なのです。

このお金と経済の仕組み、という「効率的な」世の中にあって、どうも最近は、やりたいことを把握する前に、そのやりたいこと、を通貨換算するようなダサいことを考えてしまうという残念な人々も増えてきたのではないかと危惧しています。

どうか皆さん、金など単なるイリュージョンであり、ただの説明手段であることをわかっていただくと、本当に大切なのは通貨のほうではなく、自らに残された時間のほうであることと改めてわかってくるのではないでしょうか。

今日は、カネは墓場には持っていけない、それは現世に生きる人々の力をとりあえず糾合するための「手段」「イリュージョン」に過ぎないから、という話をいたしました。

それでは、自分の時間を大切にしてもらいたいと思いまして、この話を終わります。

といいましても、やはりカネは楽して儲けたい、そう考える筆者からのコメントは以上です。

(2020年1月15日 水曜日)

(2019/11/12)いわゆる「お金持ち」と「庶民」の違いについて私見を述べて解説しておきます

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