個人の見解であり関連する組織等とは関係ありません

(2020/02/01)「愚痴」が蔓延する組織にはしたくないという筆者のたった一つの思いについて述べます

テレビに向かって文句をいう人

おはようございます。

2020年2月はじめの、改めて令和2年の残り11ヶ月をどう生きていこうか考えた結果の記事です。

愚痴を言わない組織を作る。

これに挑戦したいと思います。

人間、自分に自信があれば、愚痴はあまり言わなくなると思っています。

そして、自分に自信をつけるのには、大きく二つあって、自分の内面を見つめ直して前向きにマインドセットすることと、そして外部環境を整えて、前向きに行動したり働いたりすることが支援される場に身を置くことに意識を向ければいいと考えています。

人間には、承認欲求という、人間が人間として社会性を持って進化してきた超絶スキルを持っておりまして、それで世界中に人類は足跡を示して(南極大陸以外)世界人口を75億人まで増やした、その最大の成功要因こそ、「自己承認欲求」であることは間違いないと思っています。

そして、その自己承認要求にしたがって、心理的安心を得るために、愚痴をこぼして同意をもらうという振る舞いが許容されてきたという歴史があると思うのです。

しかしながら、心理的安心を得る「だけ」のために、このような振る舞いをするのは、これからの時代における生き方として非常に危ういことだと考えています。

もちろん、人類創世の頃から、人間は物理的な安全を求めて、居所を移動させ、そして社会性をもって集団を作り、そして通貨とか都市とか国家とか宗教とか軍隊組織とか、そうした「概念」を駆使することによって、物理的な安全に加えて心理的安定感を得るという、他の生物にはなし得ないスキルを獲得し、それをひっくるめて「文明」と呼んでここまで地球上あらゆるところにはびこってきたわけです。

ですが、あまりにも高度に発達しすぎたこの世の中にあって、これまでの、安全靴一辺倒での心理的安定性を目指した自己承認欲求の奴隷になるのは、1人の人間としては少々辛くなるのかもしれません。

もちろん、自分の人生の評価は最終的に自分で決めるものでありまして、その統一した基準などは全くないのですが(無人島でまったく情報と隔絶されてだらだら過ごしても個人の評価としては良いし自由)、あくまでも、突き抜けた動きをした自分でありたいと少しでも思った場合は、愚痴は禁止すべきだと思っています。

主体的に生きることを放棄してしまうのが、愚痴だと思います。

会社の上司や経営陣(社長)に隠れて、あまつさえ、自分の給料の原資になる売り上げを持ってきてくれるお客さんがどこでみているかもわからないのに、愚痴を言うのはアンフェアです。

いかに自分が理不尽な目にあっているのかを滔々と話すことができる変なスキルだけが磨かれていきます。

自分がいかに正しくて、相手や環境、世界や地球や宇宙が間違っているということを、他人にこれでもかと主張するのです。

聞いている相手の方も、面倒臭いので、うんうんと同意をしますし、そのような返答をくれる人を選別してかぎ分けて彼らは愚痴を投げつけ、そして自分の承認要求を満たすわけです。

これは、到底子供に見せられる姿ではありません。

何てカッコ悪いのでしょう。

前向きに堂々と挑んで、堂々と負けて失敗して、その失敗を目を逸らさず噛み締める。

その覚悟がない、単なる勝負できない負け犬の遠吠えであります。

愚痴を言って、自分を自分の中で正当化していても、現実(ファクト)は全く変わらないのに、その会社、その仕事を選んで来ているのは自分自身のはずなのに、なぜか批判屋としてのその舌鋒の鋭さ、ねちっこさの矢印は、原因の一番であるところの自分には全く向かずに外にだけ振りまかれている、こういうのは埼玉県のみなさんに本当に悪いですが「ダサい」と言うことだと思います。

まるで、自分の人生まるごと奴隷のように、誰かから支配されているような、それほどの言い振りで迫ってまいります。

承認要求を満たしたいという一点に目的が凝縮された、まさに精神衛生上深刻な、乞食状態と言えるでしょう。

ちなみに、不満を持つこと自体は問題ではなくて、それはむしろ良いことです。

解決すべき課題がある、ということで、その事実を整理し、対応を前向きに検討して考慮して他人のアドバイスを含めて決断して実行すればいいだけですので。

すなわち、不満があるのであれば、そこからどうするか、というのを一個の人間として前向きに考えれば良いだけです。

仮に、今の職場の上司に不満があるのであれば、①上司にしっかり不満を伝える、②自分で受け入れる、③職場自体を辞める、という複数の選択肢があります。

その前向きな、どの選択肢も取らないで、同じところでぐるぐる回っている回転ドアの様に、ひたすらに愚痴をふりまく、これはもう、主体的に生きる、自分の人生を生きるということをまるごと諦めているのではないかと思います。

こういう、臆病で卑怯で卑屈な振る舞いを見るのは嫌ですので、筆者個人としては、できるだけそのような匂いのする人間には、価値観が違うということで、近寄らないように、または出会ってしまっても速やかに離れるようにしています。

愚痴を言うな、ということは、不満を持つな、ということではありません。

不満を持ったら何でも言いたいことを言える組織や会社、というのは本当にいい会社か考えてみて欲しいです。

仕事で納得できなくて、成果が上がらなくて、自制心を全く働かせずに、皆がもう、言いたいことを言い合える、そんな言いたい放題、言いまくる会社が本当に良い会社だとは筆者は思いません。

リヴァイアサンにいう、暴力状態よりひどい、身体だけの大きな子供の集団ではないでしょうか。

言いたいことはある、不満はある、その感情面をグッと抑えて、できるだけ前向きに、理知的に、理性的に相手や自分に対する思いやりをもって適切にこれからのことを伝えることができるスキル、というのがこれからの組織人にはますます求められているのではないかと思います。

自分自身に恥じない、前向きな己の戦いをしていきたいと思います。

ところでですね、ここだけの話なんですけど、なかなかブログの読者やPVが伸びなくて、本当に嫌になっちゃいますよね。

こちらからは以上です。

(2020年2月1日 土曜日)

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