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(2014/11/19)ざっと1,200年以上続いている四国お遍路の旅についてさわりだけ述べておきます(世紀の偉人、弘法大師空海のお話)

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お遍路ガイド

おはようございます。

2014年11月の古来より続く究極のピクニックの話です。

線路は続くよどこまでも♪という歌がありますが、今回は遍路は続くよと題して四国お遍路の話をしたいと思います。

そもそも四国で遍路の原型となる修行をはじめたのは今から約1,200年前の弘法大師空海です。

空海は京都の都で下級役人の子弟として仏教を中心とした学問に勤しんでおりまして、当時の日本で唯一の「大学」で学んでおりました。

唯一ですから単に大学と呼ばれていたのです。

ちなみに日本の近代最初の国立大学である東京大学の校章は、未だに単に「大学」をかたどったものですが、こちらに比べるとそのフィールドの大きさに驚きます。

何しろ、四国まるごと一つが教場なのですから。

さて、古代日本における大学においても、そこには全国からエリートたちが集い、経典の暗記や朗読、試験に勤しむ毎日でした。

そんな中、空海は都での勉学での出世競争に疲れたのでしょうか、既に天才との呼び名高かった名声を捨て、当時は未だ秘境と呼ばれた四国の自然の中に身を投じるのです。

空海伝説というのは全国に残っておりますが、このような経緯から四国には空海修行の由来の地がとても多く、その中には海岸べりの崖やら石鎚山といった急峻まで、とても人間業とも思えない広範囲にわたって空海はその身いっぱいに自然に取込み修行していくのです。

おそらく、西洋のレオナルド・ダ・ヴィンチも真っ青の文武両道双方に秀でた、まさに天才、超人だったのではないかと思われます。

超人故に人間としての悩みも大変深かったものと思われます。

現代に生きる我々衆生など、足元にも及ばぬ、はるかに上回る、脂っこい煩悩に苛まれたこともあったのでしょう。

この四国での修行の後、朝廷の正規の遣唐使の留学僧(留学期間20年の予定)として唐に渡ることになります。

その直前まで単なる一介の民間修行僧であった空海が突然国家エリート留学僧として浮上するのはなぜかという謎は今なお残っているのですが、おそらく、空海という天才賢者の名前は当然都の高官の耳にも入っていて、国家として恥ずかしくないエリートを出さなければならないという遣唐使留学生選定においては、門地や身分などといった付帯状況を斟酌したり忖度している暇などなかった、すなわち実力が低い身分という壁を軽く凌いだということではないかと思っています。

当時の遣唐使の留学僧と言えば、それはもうものすごいことで、国家的予算がついた、ものすごい研究研修プログラムであり、今で言えば、スタンフォード大学とハーバード大学とオックスフォード大学と北京大学、ついでに東京大学の学位も丸ごととって、自前の研究室、どころか研究機関ごと差し上げます、的な破格の、それこそ国家の運命をかけた人的資源、天才の供出であったことだろうと察せられます。

その後、2年で留学を切り上げた空海は、この世の全てをその天才的な脳髄内に仕舞い込み、そうして帰国し高野山に入り、ここから衆生救済の旗を立てます。

そうして、死後もなお、高野山の奥の院で修行に励んでいる、それに続く空海の弟子たちもそこに並んで修行を続けている、ということなのです。

稀代の天才児であり一人の人間として悩み抜いた青年行路が、お遍路としてそれに続く人々を惹きつけるのです。

若い頃からやんちゃなだけでした筆者からは以上です。

(平成26年11月19日 水曜日)

▷▷次の記事は

日本の仏教の隆盛について浄土真宗と曹洞宗を例に論じてみるという記事です

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