個人の見解であり関連する組織等とは関係ありません

(2020/02/22)承認要求をゴミ箱に捨ててみるといろいろなものが見えるという話です

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おはようございます。

2020年2月、人間の根元的な欲求である、人に好かれたい、人に評価されたいという、我々のDNAレベルに差し込まれた性質から少し離れてみようという記事です。

人間は社会的な動物と言われまして、他の動植物とは違ってこの地球上にこれほどまでに短期間で広まったのは、ひとえにこの社会性の為せる技であったという研究結果がなされています。

これは、個々人の「能力」の総体として、集合体として我々人類が凄かったというわけではなくて、我々人類は、周りから承認される、称賛される、良い方に評価されることを無上の喜びとして、そうした評価が得られた時に、脳内にドーパミンという麻薬にそっくりな(麻薬そのものの)快楽物質を分泌して、精神的に極めて良好な、ハイな状態になるということがわかっているのです。

これは、他人からの、思いも掛けない評価、というものを得た時にマックスで分泌されます。

ですので、どうしても、赤の他人や多数の人からの称賛が欲しいと人は要求してしまうのです。

ここを一定程度に抑えて、そして承認欲求をゴミ箱に捨てて、そうして「自分」を「自分」で評価するという自己評価軸にシフトできるか、ここが一個の人格として自立できるかどうかの分かれ目ではないかと思っています。

アルフレッド・アドラーという心理学者が、同じようなことを言っておりますが、これは、私たちは自立して自分で自分の人生を作って(デザインして)いかなければならないわけであり、承認要求を得ること(成功すること)だけにフォーカスすると人生が息苦しくなるものである、ということを言っています。

私たちは私たち自身の行動の主人公であり、何かこれまでとは違う新しいことをなさなければならず、そして自分自身にとって重要なことは、私たち自分自身にしかできないものであるというわけです。

企業経営や組織運営、それから教育や指導やプライベートな関係においても、時代が平成から令和へと移った現在、経営者やマネジメント層が、これまで有効とみられていた、恐怖や不信や軽蔑(軽くみる)といった支配型の縦社会のマネジメントではなく、尊重や信頼、共感や協力といった同じ目線に立った人間関係にシフトしていく中では、この考え方(自己原因論、自立論)は非常に重要な指針になると考えています。

この点、共感と同情は似て全く異なる概念ですので、特にせつめいしておきたいと思います。

共感能力を持つのは、相手と同じ目線に立つということで非常に大切なことでありますが、共感と同情の違いを理解しておかないと、お互いにとってよくないことがあります。

それは、共感というのは相手に関心が向いていて相互理解が図られますが、同情というのは実は自分に関心のベクトルが向いていて、強いものが弱いものを支配したい、同情される弱い側は同情する強いものに依存したいという、相互依存関係に簡単に陥ってしまうのです。

強い者が弱い者に、上の者が下の者に「かわいそうだ」という形で同情するわけです。

これは相手への共感ではなくて、あくまで自分の関心です。

自分が相手を見て一方的に「気の毒だ、辛いだろうな」と思うのです。

よくある話ですが、例えば障害(ハンディキャップ)を持たれている人を見て、勝手に同情する健常者がいますが、そんなの相手は別に辛いと思っていないし、見ず知らずの者から勝手にかわいそうに、などと同情される言われはないのです。

このように、自分の評価軸を、どうにもならない他人の評価に委ねてしまうことになりますと、承認要求の奴隷となり、自分自身の大切な時間や人生そのものを、他人からの評価を得るために全振りして使い込んでしまうことになり金ません。

ここが、人間の根元的欲求とうまく付き合うということで、難しいのです。

と書いている筆者も、YouTube動画のチャンネル登録数が増えたり減ったりするのに、一喜一憂しているという意味において、立派な承認欲求の奴隷であります。

その事実を見据えながら、この自分自身に向き合っていきたいと考えています。

こちらからは以上です。

(2020年2月22日 土曜日)

(2018/07/23)〔我が友水谷康弘君に捧ぐ〕承認欲求についてつらつら考えてみたことを書いておきますという記事です

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