個人の見解であり関連する組織等とは何ら関係ありません

和暦に親しんでいくことで日本の歴史がより深く理解できますという話

                                        ビルメン王YouTube動画はこちら
https://www.youtube.com/c/BirumenkingNews
することがありません…

おはようございます。

2016年7月の和暦に関する日本の記事です。

筆者は歴史、特に自分の国である日本史が好きですが、よく考えれば現在の日本史の学校教育は少し矛盾しています。

全て西暦で覚えるので、正確に、できるだけ当時の人々に寄り添うことができないのです。

例えば、関ヶ原に集った西軍東軍数十万の軍勢は、きりのいい西暦1600年に互いの存亡をかけて戦ったわけではありません。

この日は安土桃山時代の慶長5年旧暦9月15日(西暦1600年10月21日)です。

慶長5年のことなのです。

このように、日本の歴史における大きな出来事で、応仁の乱とか大化の改新とかありますが、いずれも「和暦」の「元号」です。

文永の役も弘安の役も、建武の新政も、保元・平治の乱も、承久の乱も、貞観の治も享保の改革も天平の甍(いらか)も、すべて和暦の元号です。

応仁、というと、ああ京都のみならず日本全国津々浦々内乱状態でしたな、と当時の日本の人たちが考えてそう名付けたのです。

大化の改新は、大臣の地位に歴代ついてきた蘇我氏を文字どおり宮中でその頭領を殺害し、さらに一族もろとも滅ぼして天皇による親政体制を確立したときに、改めて元号を定め、時の支配者になろうとした天智天皇(当時は中大兄皇子)の考えだったと思われます。

蘇我氏が一括してそれまで保管していた歴史書の類は全て消失してしまったので、新しく歴史というものを組み直さなければならなかったわけです。

そして現存する最古の歴史書が出来上がった

そして、稗田阿礼(ひえだのあれ)という超・天才児にして記憶力抜群の文才がいなかったら、現存する日本最古の歴史書である「古事記」は無かったと思われます。

時代が生んだ天才のおかげで、筆者などはこうして記事のネタにすることができるのです。

さて、その中大兄皇子も、自らが天智天皇として即位したときには元号を特に定めませんでした。

しかし、その後天皇の即位といった世が改まるときに元号も制定することが一般的となり、日本独自の和暦が形作られたわけです。

ちなみに戦国時代の後半期で秀吉による天下統一がほぼ完成する期間の年号は「天正」です。

西暦で1573年8月26日から1593年1月10日までの20年も続いているので信長秀吉好きの方は覚えておかれるとどこかで役に立つこと請け合いです。

ちなみに現在の元号平成の前は昭和ですが、昭和は64年まであります。

昭和64年1月7日までが昭和で、次の日からは平成元年1月8日となり平成になります。

したがって、平成元年1月1日というのはありません。

同じ1989年でも、日によって呼ぶ元号名が違うということです。

この、ある一定年齢以上のおじさんおばさんには常識であるこのことも、今の単一元号しか知らない若い人には新鮮かもしれません。

平成元年のバブルの狂奔は知らなくてもいいですが、和暦のことくらいは覚えておかれた方が世の中というものを少し深く理解できるかもしれません。

慶應義塾大学の慶應を、早稲田大学と同じどこかの地名だと最近まで思っていた(明治の前の元号です)今の若い人はなどと言えない筆者からは以上です。

(平成28年7月12日 火曜日)

SNSでフォローする