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天皇皇后両陛下も行かれた太平洋戦争激戦地パラオ共和国ペリリュー島です

パラオ共和国 国旗

おはようございます。

2015年4月のパラオ共和国に関する配信記事です。

天皇皇后両陛下がパラオ共和国ペリリュー島をご訪問されました。

パラオはその昔、国際連盟による日本の委任統治領となり、「南洋庁」が首都コロール島に設置されました。

日本人はパラオに米食の習慣を定着させ、なすやきゅうりなどの野菜やサトウキビ、パイナップルなどの果樹栽培や農業を持ち込み、魚介類であるマグロを缶詰に、カツオはカツオ節にするなどの食品加工工場を作って雇用を創出、道路を舗装し、島々を結ぶ橋をかけ、電気を通し、電話を引いて、パラオの近代化を進めました。

教育にも力を入れ、日本人の美徳を浸透させていきました。

そうして、日本本土、沖縄、台湾や朝鮮から来た人々と現地の人たちが交じり合い、一節には太平洋戦争時にパラオ在住者は3万人超となっていたとのことです。

戦争の足音近づく

そのパラオ共和国の南西に、ペリリュー島という珊瑚礁の島があり、ここに旧日本軍は飛行場を整備し、要塞化を進めました。

こうして太平洋戦争時、日本が劣勢となり絶対国防圏として指定したその最前線に、このペリリュー島が置かれることになったのです。

彼我の戦力差が開く一方、ペリリュー島守備隊長の中川大佐は、その卓越した合理的考えから、珊瑚礁である全島を徹底して地下要塞とし、地下陣地に兵を潜ませることで消耗を防ぎ兵の保全に努め、玉砕を厳に戒めてとにかく多くの米兵の出血を強いて持久戦を取るという戦法を取ります。

結果、島はアメリカ海兵隊と海軍の猛攻を受けて2ヶ月半持ちこたえ、米軍に1万人以上の死傷者を出し恐るべき消耗を強いました。

日本軍は中川大佐以下1万人以上が戦死しました。

なお、パラオでこれだけの長期間大規模な戦闘が行われながら、パラオの民間人に犠牲者は出ませんでした。

その後パラオは国際連合による米国信託統治領となりますが、ついに1994年に独立を果たします。

国号はパラオ共和国。

国旗は、青い太平洋に浮かぶ満月をかたどったもの、誰が見てもわかる日本に対する敬意が込められた素敵な国旗です。

2015年4月9日、天皇皇后両陛下が供花のために訪れたペリリュー島では、学校、職場が休日となり全島民600人で両陛下を出迎え歓迎し、パラオ共和国により同日は「日本国天皇皇后両陛下ご訪問の日」として祝日とするよう法律で制定したということです。

世界一の親日国の一つ、パラオ共和国の発展を祈ります。

死ぬまでに絶対行っておきたいパラオやペリリュー島の紹介は以上です。

(平成27年4月12日 日曜日 最終更新:平成28年4月12日 火曜日)

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