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京都から東京に実質的に都が移って400年経ったと改めて思ったお話

おはようございます。

2014年7月の東京からの配信記事です。

再び田舎から東京に出張で出てきた筆者からお届けします。

ちなみに東京23区からは遥かに遠いところを回っております。

こうしてみますと関東平野の広大さに改めて驚きます。

京都との二重鼎立状態であった鎌倉幕府より500年、権力中枢が江戸幕府としてこちらにほぼ完全に移動し、明治以降は皇居すら移って政治経済の中心が完全に移転したことを考えますに、この地の潜在的ポテンシャルは他の地方を凌駕していたと思わずにはいられません。

日本史の有史約1,500年をざっくり表現しますと、京都を中枢とする畿内から東京を中心とする関東にだんだんと一定速度で権力が移行してきたとも言えるでしょう。

ちなみにそれ以前から存在したと推定される北部九州や出雲地方のクニグニについては、今の日本国につながる大和朝廷直系とは別に並行して存在した、いわば[別の国]だというのが現在の筆者の考えです。

まさか関東の地に都だなんて当時の京都の人たちは考えもしなかったはず

まさか天皇家を頂点とする朝廷も、かつて滅ぼした坂東武士平将門の本拠地にゆくゆく皇居を構えるなど思ってもみなかったことでしょう。

さてその東京の人々について、田舎の筆者などより余程努力されていることがあります。

それは、とにかくよく歩くということです。

公共交通機関がいくら発達しようが、いや発達するからこそ駅の乗り換えといった徒歩移動は必ず発生します。

そして皆さんかなりの早足です。

さすが坂東武士平将門の末裔です。

将門の時代は、兵農分離は進んでおらず、かの国の兵士は農村労働者との二足の草鞋だったのです。

これが、農繁期に攻めてきた政府正規軍に負けてしまった原因でもあるのですが、昔から東京の人々は、よく歩きよく働いたといえるのではないでしょうか。

対する田舎といえば、すぐ車やタクシーに乗って移動しようとします。

一駅くらい歩けばいいと思うところも、皆バスを待つなど都会に比べれば遥かに軟弱なのかもしれません。

筆者もせめて会社をクビにならないように平将門首塚にお参りさせていただきました。

もっと歩いて都会の皆さんに負けないようにしたいものです。

ホテルもそもそも間違えたあげくにアネックスだのイーストタワーだのに迷い込み、一人ではフロントにすら辿りつけませんでした。

倭国(日本ではない)という別のクニから来た筆者からは以上です。


(平成26年7月16日 水曜日 最終更新:平成28年7月16日 土曜日)
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