個人の見解であり実在の組織等とは何ら関係ありません

(2014/09/22)「漢書」地理志に続いて「後漢書」東夷伝を20秒で読んでみませんかという話

                                        YouTube動画はこちら
https://www.youtube.com/c/BirumenkingNews

おはようございます。

歴史好きのビルメン王@shinya_ueda提供のブログ歴史配信記事です。

昨日の日本の歴史の話の続きです。

「漢書」地理志が記載した日本列島史において、最初のお宝と固有名詞が登場する後漢書東夷伝という書物です。

こちらも、わずか32字ですが、中国後漢の正史「後漢書」東夷伝の中に西暦57年と107年の重大事件について書かれています。

二つの文に分けて述べます。

曰く、「建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以ってす。」

[適当訳:建武中元二年(西暦57年)、倭の奴国が朝貢してきた。使者は自分のことを大夫と名乗った。奴国は倭国の南端である。光武帝は、印綬(金印と組紐)を与えた。]

金印が出土した博多湾志賀島

この金印こそ、福岡県志賀島から江戸時代に出土した「漢委奴国王」の金印だと言われます。

こんなお宝が乱発されるわけないでしょうから、おそらく本物かと思われ、日本列島古代史における超弩級の発見だと言えます。

次に、「安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願ふ。桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐し歴年主なし。」

[適当訳:安帝の時代である永初元年(西暦107年)、倭国王と名乗る帥升などが生口(奴隷のこと)160人を献上し、安帝に謁見(お目通り)をお願いした。桓帝、霊帝の時代(西暦146~189年)の間、倭国は大いに乱れ、さらに互いに攻め合い、何年も王がいなかった。]

卑弥呼の前に登場するこの帥升という人こそ、日本列島史において最初に登場する固有名詞の人物であり、一体どんな人だったのか興味があります。

何しろ西暦107年に、倭国王と自称する帥升自ら中国後漢皇帝の居る洛陽まではるばる海を超えてやってきたというわけですから、卑弥呼より更にドラマティックな人生を歩んだ強者と言えそうです。

気軽なブログ記事を大きく超え、論文的になりそうなので漢字率ナンバーワンであろうこの記事はここまでに致します。

またまた邪馬臺国まで到達できず誠に申し訳ありません。

西暦107年から約1,900年、帥升ならぬ現代の酔升の一人である筆者からは以上です。

(平成26年9月21日 倭国北端の日曜日にて)

▷▷次の記事は

福岡市の志賀島から出土した金印の歴史的位置付けを考え直してみるという話です

金印(福岡市博物館蔵)
SNSでフォローする
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。