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「の乱」と「の変」に続いて「の役」についても自論を展開してみます

福岡の餃子屋です(テムジンはチンギスハンの本名)

おはようございます。

2015年2月の歴史に関する配信記事です。

先日のエントリー、「の乱」と「の変」が意外に好評でしたので、「の役」も考察したいと思います。

「の役」の初出は文永の役、弘安の役という、日本の北九州に蒙古・高麗連合軍が押し寄せてきた大事件です。

あまりにも大事件で、外国から侵攻を受けるという経験が少なかった中世の日本人により、「役」という字が当てられたものと思われます。

その時代、はるかユーラシア大陸の中央、モンゴルのブルガン山付近で遊牧生活を営んでいたキヤト氏族の出であるテムジンは、同族の諸氏族を討って頭角を現し瞬く間に全モンゴルを征服、近隣諸国を電撃的に服属させる遠征を行い、そのことごとくを滅ぼし併呑していきます。

馬を使った神速の機動部隊を編成した

なぜこんなに破竹の勢いだったのかということですが、その理由は、千戸百戸制という軍民一体となった組織力と千戸長、百戸長といった人材登用、そして、高速の騎馬を利用し軽くて強いモンゴル弓を構えるという神器を備えたということです。

特に馬は1人の騎兵に8頭程度の馬を充てたということです。

この「神速」の中世まれに見る機動兵団が、ゆるやかな草原(ステップロード)を東西縦横無尽に遠征し、侵略し尽くし世界史上類を見ない大帝国が築かれたというわけです。

さて、大国である「金」、そして保守本流漢民族の王朝たる「宋」も滅ぼしたモンゴル帝国(西はヨーロッパまで攻め込んでいます)は、中華帝国部分を元と改め、更に侵略の手を海の先の日本まで向けてきました。

陸の尽きるところで遠征をやめておけばよかったのですが、一旦放たれた矢を戻すのは難しいというよくある失敗例でしょう。

元寇の失敗は、日本軍の奮闘というより(もちろん御恩と奉公で結ばれた鎌倉御家人の活躍は凄まじいものでしたが)、海や船というものに慣れていないモンゴル兵のアウェイ感のなせる部分が大きいのではなかったかと思うのです。

何事も、自分の得意分野で勝負するというのが大切だと思います。

元寇の戦場舞台となった北部九州草ヶ江というところ住んでおりますが、なかなかこれから生きるための得意分野が見つからない筆者からは以上です。

(平成27年2月28日 土曜日 最終更新:平成28年2月28日 日曜日)

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