個人の見解であり関連する組織等とは何ら関係ありません

初詣に参ろうとしたら「ベビーカー自粛」を呼びかける神社が現れた!どうする?という話です

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おはようございます。

2017年1月の年明けの神社のお守りや初詣、お参りに関するビルメン王(@shinya_ueda)提供のブログ配信記事です。

初詣でごった返すある神社か寺だかに、「ベビーカーご利用自粛のお願い」なる看板が立っていたということで論争になっているようです。

確かに、残り364日は全く混んでいなくて全く並ばなくてお参りし放題の筆者の近くの神社においても、元旦は早朝から初詣のお参り客が長蛇の列をなしておりました。

このように、日本においては、「とりあえず行っとく」といった行動様式が多く、対応する側が時にトンチンカンな対応をしてしまうことがあるようです。

ベビーカーは小さい子供を持つ親には必携のアイテムです。

私も遠い昔、小さい頃がありまして、間違いなくベビーカーに乗っていました。

私にも子供がおりまして(今もいますが)、小さい時分にはベビーカーに乗せていました。

おそらく、ベビーカーに乗らないままに大人になる子供は皆無ではないでしょうか。

子供は、見た目より重いです。

暴れまわる5kgか10kgの米袋(かつ繊細)のようなものです。

また、この米袋は暴れまくったと思いきや、急に寄生獣ミギーもびっくりな睡眠に入ります。

こんな物体をいつも担いで、またはおんぶして家を出てから帰り着くまで数時間抱え続けるというのは、外出するなということに等しいです。

ちなみに、同じことは車椅子を必要とする人にも言えます。

社会的に弱いものに対して心を向けるということが、初詣に行く時に必要な最低限のマナーではないかと思うのです。

ごった返していてベビーカーや車椅子が邪魔だと感じるのであれば(感じることは人間の自然な思考であるのでそう思うなと強制することはできません)、わざわざ1年365日の中で最も混み合う元日や正月三が日でははく、例えば2月中旬の世の中がチョコレートやバレンタインデーと浮かれている日などに詣れば、心の底から参拝を満喫できると思うのです。

どうも、子供づれでこんな混み合ったところに連れてくるなんて、という「批判」は、すでに子育てを経験した女性に多いようで、これも問題を複雑にしています。

代表的なものとして、「人混みがあるとわかっていて、ベビーカーで子どもを連れてくるなんて非常識だ!」というような厳しくも一見正しそうな意見です。

そのほか、

「子どもの安全を第一に考えたら、人混みは自発的に避けるべき」
「抱っこひもで十分に代用が可能」
「必要不可欠な行事ではないのだから、子どもが小さいうちくらい我慢しろ」

といったご意見です。

全て、ご意見としてはごもっともで拝聴いたします。

しかしながら、これは、「俺たちの若い頃は深夜残業なんて当たり前だYO」「宴会芸でラーメン鼻から食った」的昭和なおっさん(筆者含む)の発想に非常に似ているような気がします。

こんな不寛容な世の中であるからこそ、新生児数が1年で100万人を割るような世の中になってしまったのではないかと思うのです。

ラーメン鼻から食うくらいでは、人は死にませんが、初詣も行けないとわかってわざわざ子供を産もうとするでしょうか。

生まれてこなかった子供の数は数えることはできません。

しかしながら、厳然たる事実としまして、ラーメン鼻から食った筆者の同級生は、実に200万人を超えておりましたが、こんな結果で子供は半分に減ったわけです。

ものすごい負のスパイラルです。

かの初詣の看板についても、例えば筆者なら「正月の初詣は混雑しておりますので皆さん道を譲り合ってお参りください」的なものにしておけばよいですし、つけくわえていうならば、「初詣だけじゃなくて、朔日(ついたち)参りとか、そんなのもおつですよ」「神社は年中無休です」「2月のお参りには巫女さんのありがたい言葉つき」などと書いておけば、お客の平準化が図れてより双方ハッピーではないかと思うのです。

もちろん、初詣の看板一つで少子化問題が全て解決するわけではありませんが、日本国に強く漂うこうした「雰囲気」についてはより掘り下げて考えていきたいと思います。

かつては、「雰囲気」で取り返しのつかない大戦争に突入してしまい、なぜそうしたか、当の政府の最高首脳や軍部幹部もなんとなく始めてしまったと戦後述懐しているくらい、日本の社会において、雰囲気やその場の空気というものの力は大きいのです。

ベビーカーひとつとっても、究極的には価値観の問題ですから、何が絶対に正しいということはないわけですが、こうしたことが取りざたされる根底には、日本社会に深く根ざす、子育て世代や弱者といったマイノリティに対する不寛容さというか、不自由さというか、無用な我慢を知らず知らずのうちに強制するといった点です。

障害者にも、子育て世代にも、「普通に」接すればよいのです。

障がい者、といったり子ども、といったり、言葉尻を変えてもなんの解決にもなりません。

「普通な」人たちが「普通」と思うように、普通な人たちも歩いて参拝するわけですが、例えば歩くのなどけしからん、秒速5メートルで走れとか、階段でなくて垂直に壁を攀じ登れとかいわれたら困ります、という程度の話なのです。

話を大きく戻しますと、筆者は少子化の最大の温床は、我が国の社会構造が、子供を持てば持つほどいろいろと不自由になる社会であるということです。

子供を持つと、仕事のキャリアが途絶える、学費も高い、そもそも世間の目が気になる、不登校になったらどうしよう、親がリストラされたら?といった不安ばかりが先に立つわけです。

あらゆる行動が制約される袋小路に、わざわざ突っ込んで行く合理的な人間がいなくなった結果、とってもすっきりとした街並みに、子供の声は消えてセレモニーホールとビジネスホテルと全国チェーンの居酒屋ばかりが立ち並ぶ日本の中堅都市駅前の風景が重なります。

「子どもを産んだら、しばらくは〜くらい我慢しろ」

と、「普通の」行動を平然と制限してくるような社会では、だれも積極的に子どもを産みませんし育てたりしないのではないかと思います。

ということで、筆者は子育てしている家庭を見たら、できるだけあたたかく見守るようにしたいと思います。

昔はラーメン鼻から食いましたが、本当は永遠の17歳の筆者からは以上です。

(平成29年1月5日 木曜日)

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