個人の見解であり関連する組織等とは関係ありません

戦国末期の出世競争という観点で高知と福岡で共通する面白い話を紹介します

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東軍 ビフォーアフター

おはようございます。

2014年8月の高知遠征に関する記事です。

折角高知まで遠征しましたので、高知と福岡の共通点などないかと思っておりましたら、見物させていただいた高知城に面白い展示資料があり、思い至ったことがありましたので書いておきたいと思います。

高知も福岡も、関ヶ原の合戦で大出世を遂げた外様大名の領地として徳川宗家に安堵されたものだったのです。

まず横綱格として福岡の黒田藩が挙げられます。

関が原での東軍先鋒を務めた黒田長政は、勇猛に戦ったことに加えて調略を駆使して小早川秀秋や吉川広家の寝返りを交渉により実現させるという、関ヶ原一番の功労者として、筑前に52萬石という大封を与えられました。

それまでの豊前中津12萬石から4倍強、徳川家康に家禄の全部と家の運命を張って与するという大きな賭けは功を奏し、現代風に言えば4倍返しの配当にあずかったわけです。

次に大関格として高知の土佐藩が挙げられます。

同じく東軍で戦った山内一豊は、それまで遠江国掛川6萬石の中堅大名でしたが、同じく関ヶ原では西軍総大将の毛利軍や四国の長宗我部軍などの押さえを担当しこれを無力化することに成功、こちらも大きな功労者として、土佐高知に24萬石という大封を得て大大名の仲間入りを果たすわけです。こちらも4倍返しです。

因みに黒田家も山内家も、いずれもNHK大河ドラマにも「出演」していますが、こちらは高知の山内一豊さんのほうが先輩格となっています(「功名が辻」の主人公は一豊さんの妻の千代さんですが)。

敗者に回った西軍の方も見ておきましょう

西軍 以前とその後

さて徳川家康は、活躍貢献した大名にはこれだけの大盤振る舞いを致しましたが、その原資のほとんどは負かした西軍大名の没収した領地からです。

それにちゃっかりしているというかやっぱりというか、徳川家康自体(徳川宗家)の所領地石高が、武蔵江戸240萬石から武蔵江戸+それ以外の天領で400萬石と量的には最も拡大しています。

ここは後に成立する江戸幕府の基盤を強化したものであるということで大変重要なところですので、押さえておきたいと思います。

さて東軍側にその殆どを没収されたり減封されたりした西軍側大名ですが、その中に西軍で最も果敢に戦った大名の一つでありながら、一石たりとも減ぜられなかった奇跡の藩があります。

薩摩鹿児島56萬石、島津義弘その人です。その話はまたの機会にでもさせていただきます。

俺を観て 育った部下から 大出世

異動も出世もないため、名刺がたいへん長持ち致しますエコな筆者からは以上です。

(平成26年8月8日 金曜日 最終更新 平成28年8月6日 土曜日)

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