歴史は勝ったもん勝ち
東京で10万人
広島で10万人
長崎で10万人
沖縄で10万人
日本各地の都市で合わせて10万人
ざっと50万人
カーチス・ルメイという名をわたしは生涯忘れません。
岸田首相は被爆ばかり強調しますが、こっちにも目を向けてもらいたいです。
安倍元首相は米国(特に当時のバイデン副大統領)が靖国神社参拝について失望を表明した際、こう言っていました。
「そもそも日本に二発の原爆を落とし、東京大空襲を行った米国に、歴史問題についてとやかく言われたくない。米国にそれを言う資格はあるのか」
東京大空襲の悲惨さは筆舌に尽くしがたいですね。
米国の傲慢な歴史修正、戦勝国は全てを正当化では…もつわけがないのです。
戦後70余年。
ウクライナ戦役で、歴史認識をめぐる「歴史戦」の年になります。
米紙ニューヨーク・タイムズなどは早速、日本の保守勢力に「歴史修正主義」のレッテルを貼ってきたが、戦勝国の立場にあぐらをかき、歴史を修正してきたのはどちらかは明らかです。
昭和20年3月10日の東京大空襲を題材にした元教師の書家、井上有一氏の書「噫(ああ)横川国民学校」(群馬県立近代美術館所蔵)はあまりに衝撃的です。
「アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東都忽化火海 江東一帯焦熱地獄」「親は愛児を庇(かば)い子は親に縋(すが)る」「全員一千折り重なり 教室校庭に焼き殺さる」「噫呼何の故あってか無辜(むこ)を殺戮(さつりく)するのか」「倉庫内にて聞きし親子断末魔の声 終生忘るなし」
書幅いっぱいに埋め尽くすように書かれた文字は、積み重なり、苦しみながら焼き殺された人々に見えます。自身は一命を取り留めたものの教え子を失った井上氏が、血涙で書いたもののようです。
約10万人が死亡した東京大空襲は、非戦闘員の殺傷を目的としており、もとより国際法違反であります。
米田建三・元内閣府副大臣の調査によると、東京大空襲の「作戦任務」(同年3月9日付)の目標は、軍事施設ではなく「東京市街地」と明記されています。最初から一般住民を標的にしていたことは明らかで、その通りに実行されました。
また、東京大空襲・戦災資料センターが東京都から寄贈された被害者の名簿3万人分のうち、年齢が分かる人について調べた結果がこの空襲の性質を表している。
それによると、被害者の年齢層で最も多いのは0~9歳の20%で、次いで10~19歳の18%でした。実に4割近くが未成年だったのである。これは通常の戦争遂行行為ではなく、米軍による子供の大量虐殺(ジェノサイド)にほかならないのです。
しかも米国は戦後、こうした自らの罪を日本人の目から隠しました。明星大戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏の著書「抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪(ゆが)めたもの」(明成社)によると、連合国軍総司令部(GHQ)は検閲で、例えば米軍の東京大空襲での国際法違反行為を指摘したこんな文章を削除した。
「無辜の一般市民に対して行へる無差別的爆撃、都市村邑(そんゆう)の病院、学校、その他文化的保護建物の無斟酌(しんしゃく)の破壊、病院船に対する砲爆撃等、計(かぞ)へ来らば例を挙ぐるの煩に堪へぬほど多々あつた」(信夫淳平氏「我国に於(お)ける国際法の前途」)
「米国は原子爆弾と中小都市焼爆で日本全土を荒廃し数百万人の非戦闘員を殺傷せしめた」(石原莞爾氏・宋徳和氏対談「満州事変の真相」)
米国は、自分に都合の悪い歴史は堂々と修正し、歴史から抹殺しました。当時、日本に対する空襲について「史上最も冷酷、野蛮な非戦闘員殺戮の一つ」(ボナー・フェラーズ准将)と自覚していたのは間違いないくせにです。
焼夷(しょうい)弾を使用した夜間無差別爆撃に踏み切ったカーチス・ルメイ少将の下で、作戦計画作成に当たったロバート・マクナマラ元国防長官は記録映画「フォッグ・オブ・ウォー」(2003年公開)の中でこう赤裸々に証言しています。
「ルメイも私も戦争犯罪を行ったのだ。もし、負けていればだ」
だが、戦勝国は全部を正当化し、敗戦国はすべてを我慢するなどという状態がずっともつわけがない。米国はウクライナ戦役で調子に乗っているようですが、傲慢になりすぎない方がいいと思います。
以上