オレオレ詐欺

お天道様が見ている
「郷に入りては郷に従え」という言葉があります。英語にも似た表現があります。“When in Rome, do as the Romans do.”。ローマに入ったなら、ローマ人のやり方に従え、という意味です。古今東西、人間社会は同じことを考えてきたのでしょう。共同体には共同体の秩序があり、その秩序を守ることで初めて人は安心して暮らせる。これは単なる道徳論ではありません。社会を維持するための最低限の知恵です。
最近、私はよく考えます。なぜ日本では、ここまで詐欺が横行するようになったのか、と。オレオレ詐欺、還付金詐欺、投資詐欺、ロマンス詐欺。名前を変え、手口を変え、人の善意や孤独につけ込んで金を奪っていく。しかも厄介なのは、単なる犯罪者個人の問題ではなく、それを「ビジネス」として成立させている構造があることです。人を騙して金を巻き上げることを、まるで効率的な商売のように扱う連中がいる。セクハラパワハラも一種の詐欺だろと思いますね。
私はそこに強い嫌悪感を覚えるわけです。何でもかんでも人のせい。自分でやることが全くないがな。自分はいつも被害者。まるでイスラエル。ふざけんなってな。
商売というものは、本来、人の役に立つから成立するはずです。米屋は米を届ける。大工は家を建てる。医者は病を治す。法律家は紛争を整理する。誰かの困りごとを解決するから対価を得る。そこには最低限の倫理がある。しかし、人を騙し、恐怖を煽り、判断力を奪い、財産を掠め取ることを仕事にしているなら、それはもう商売ではなく寄生です。
ならば、それを防ぐのもまた社会の役目です。
私は、日本人には昔から「お天道様が見ている」という感覚があったと思っています。誰も見ていなくても、悪いことをすればどこかで報いが来る。だから恥ずかしい生き方はするな、という感覚です。これは宗教というより、生活倫理に近い。農村共同体でも商家でも、結局は信用で社会が成り立っていた。嘘ばかりついている人間は、最後には相手にされなくなる。
ところが今は、「バレなければいい」「儲かれば勝ち」という空気が強くなった気がします。しかも、それを賢さのように語る人までいる。私はあれが嫌いです。
もちろん、日本社会にも問題はあります。息苦しさもある。理不尽もある。しかし、それでも長い時間をかけて積み上げてきた秩序や礼儀がある。列に並ぶ。時間を守る。ゴミを持ち帰る。人に迷惑をかけない。そういう小さな積み重ねで社会は回っているのです。
だから私は、「多文化だから何でも受け入れろ」という雑な言葉には違和感があります。文化が違うこと自体は悪ではありません。しかし、その土地のルールや倫理を無視してよい理由にはならない。
郷に入りては郷に従え、です。
日本に来たなら、日本の秩序を尊重するべきです。それは排外主義ではありません。むしろ共同体への最低限の敬意です。逆に、日本人が外国へ行ったなら、その国のルールを学び、配慮して生きるべきでしょう。当たり前の話です。
私は、最近この「当たり前」を口にしにくい空気を感じます。何か言えばすぐに差別だ、古い価値観だと言われる。しかし、共同体を守るための規範まで否定してしまえば、最後には弱い人から食われます。実際、詐欺の被害に遭うのは高齢者や孤独な人が多い。つまり、社会の隙間にいる人です。
だからこそ、私は思うのです。掠め取るのが商売なら、それを防ぐのも我々の役目だ、と。
警察だけの問題ではありません。家族も地域も、一人一人も、注意を呼びかける必要がある。怪しい電話は切れ、と。うまい話は疑え、と。ATMで電話しながら操作している高齢者がいたら声をかけろ、と。
そういう地味な行動が、結局は社会を守るのだと思います。
お天道様が見ている。
私はこの言葉を、古臭い精神論として切り捨てたくありません。誰も見ていなくても、自分の良心は見ている。だから卑しい生き方はするな。その感覚を失った社会は、最後には金だけが支配する荒んだ場所になるでしょう。
ローマ人が言った言葉も、日本人が残した言葉も、結局は同じことを語っているのだと思います。人が共に生きるには、守るべき秩序がある。そして、その秩序は放っておけば壊れる。だから守らなければならない。多文化強制は、真っ平ごめんです。
私は、そういう当たり前を、これからも大事にしたいのです。
以上

