諸君、狂いたまえ(吉田松陰)

筆者個人偉人ランキング第3位

テラフォーマーズ的に申し上げますが、筆者偉人ランキング第3位に君臨する、俺たちの吉田松陰先生に見る好き嫌いなのか個性なのかその違いは小さいのかもしれないという話をします。

吉田松陰先生は、立志は特異を貴ぶ、と仰いました。

志を立てるには、人と違うことを恐れてはならない。

ぬるい弟子たちを全員破門しました。

諸君、狂いたまえ、と叫んで、わざわざ、弟子の山形有朋の名前を、狂介と変えて呼びまくった、そんな変態です。

日本の近世近代において、彗星のように現れた吉田松陰先生。

長州藩萩の生んだ天才。その構想は、当時どころか今の人間の度肝を抜いたものだったと思っています。

さて、我々のような凡人については、残念ながら、個性を表に出して自分らしく振る舞えば振る舞うほど、周りの相手を不機嫌にさせたり嫌われたりということがつきまとってきます。

万人に好かれることはできません。

「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん」と叫んだ吉田松陰は江戸幕府に極度に嫌われ(恐怖され)、29歳でさっくり斬首されます。

まさに幼少から天才として知られ、かつ努力を怠らず兵学の講義を長州藩主にわずか11歳で行うほどの人物でした。

松蔭の弟子であった高杉晋作は、「諸君、狂いたまえ」との師の言葉に押され、長州藩をまとめ松蔭を殺した幕府打倒に邁進します。

こちらも27歳と太く短い生涯でした。桜山神社というところに招魂碑というのを作って、吉田松陰先生以下、先に死んだ僚友に対して歌を詠みました。

高杉晋作が1865年に下関の櫻山招魂社創建時に詠んだ歌は「おくれてもおくれても又君たちに 誓ひしことをあに忘れめや」です。

これは亡き同志を偲び、遅れて自分も逝くという気迫を込めたもので、高杉の墓のある、東行庵などに歌碑があります。

「Stay hungry, stay foolish(馬鹿であれ)」とスピーチを締めくくった、かのスティーブ・ジョブズなどと通じるところがありましょうか。

海外から来た人に吉田松陰を説明することは困難を極めます。このたとえ話なんかではたとえようもない、激烈な生き方があります。

このように、自らの強烈な能力(個性)を放つ偉人の伝記や逸話を読むにつけ、これはそのまま庶民の生き方に当てはめようとすると大変なことになるなと感じるわけです。

反対に、自分の個性を適度に抑え、相性や好き嫌いでは判断しないようにして、幅広いお友達をつくって浅く広く無難に付き合っていくという処世もあります。

友達百人できるかな、と小学校1年生において唄われる、通常と言われるわが国の義務教育は、個性重視と掛け声はありますが、どちらかというとこの没個性のほうに軸足がありそうです。

どちらがいいというわけではないのです。

しかし、生き方を大上段に振りかぶるのではなく控えめに申し上げれば、やはり友達というのは好き嫌いやウマが合うか合わないかで選んでいいのではないかと思いました。

今後は、もっと「友達」を作ろうと思いました筆者からは以上です。

偉人ランキング、それ以外については、また別の機会に。

(令和8年4月20日)

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