最高の仲間w
パリピ経営者という虚無。
パリピと言っても、若者の話ではない。
クラブで泡を浴びている二十代の話でもない。
むしろ最近、いちばん厄介なのは四十代、五十代のおっさんおばちゃんのパリピである。
しかも、ただの遊び人ではない。
中小企業の経営者。
事業主。
医師。
弁護士。
士業。
コンサル。
謎のプロデューサー。
名刺だけ見ると、やたら立派な大人たちである。
ところが実態はどうか。
毎回、パーティーの名前だけは変わる。
「未来を語る会」
「地域を元気にする会」
「次世代リーダー交流会」
「美食と経営を語る夜」
「社会課題を考えるサロン」
「日本を変える大人たちの集い」
名前だけ聞くと、何かが始まりそうである。
しかし、始まらない。
なぜなら、集まっているメンツが毎回同じだからである。
同じ顔。
同じ店。
同じ乾杯。
同じワイン。
同じ時計。
同じジャケット。
同じ白パン。
同じ日焼け。
同じ笑い方。
同じ「いやー、面白いことやりましょうよ」。
そして、何もやらない。
この「やりましょうよ」ほど信用できない言葉はない。
本当にやる人間は、そんなことを言っている暇があれば、もう勝手にやっている。
彼らの多くは、自分でゼロから事業を興した人間ではない。
もちろん二代目、三代目がすべて悪いわけではない。
親の会社を継ぐというのは、想像以上に重い。
古い社員がいる。
古い取引先がいる。
親の影がある。
借金もある。
時代遅れの仕組みもある。
そこで歯を食いしばって会社を作り直している二代目、三代目は、本当に立派である。
ワシが言っているのは、そういう人たちではない。
標的は、親の苦労の上に座布団を敷き、その上でシャンパンを飲んでいる連中である。
創業者の傷も知らない。
資金繰りの恐怖も知らない。
従業員の給料日に胃が痛くなる感覚も知らない。
銀行の担当者の声色ひとつで背筋が凍る夜も知らない。
それでいて、やたら経営を語る。
「これからはコミュニティですよ」
「地方創生ですよ」
「人と人をつなぐことが大事ですよ」
「本質は、愛なんですよ」
やかましい。
まず、自分の会社の月次を見ろや。
次に、従業員の給料を上げろや。
その次に、納税しろや。
その上で語りたきゃ愛を語れ。
こういうパリピ経営者たちの面白いところは、みんな個性を出しているつもりで、驚くほど似ていることである。
少し派手なジャケット。
少し高そうな靴。
少し焼けた顔。
少し不自然な白い歯。
少し意味深な笑顔。
少しスピリチュアルな発言。
少しだけSDGsっぽい話。
少しだけアート。
少しだけワイン。
少しだけ海外。
少しだけ瞑想。
少しだけサウナ。
全部が少しだけ。
深いものがない。
自分の中に思想があるのではない。
流行っているものを、浅く身にまとっているだけである。
ファッションも同じである。
みんなが同じような服を着て、同じような髪型をして、同じようなポーズで写真に写る。
片手にグラス。
肩を組む。
口角を上げる。
少し斜めを向く。
そして投稿する。
「素晴らしい仲間たちと、最高の時間を過ごしました」
「刺激的な夜でした」
「ご縁に感謝」
「ここから新しいプロジェクトが生まれそうです」
生まれない。
その夜に生まれたのは、だいたい二日酔いと、誰が誰に近づいたかという小さな人間関係の噂だけである。
本当に価値あるプロジェクトは、ああいう場からはあまり生まれない。
生まれるとしても、会場の隅で静かに話していた二人からである。
大声で「最高ですね」と言っている集団からは、何も生まれない。
せいぜい次回のパーティーの名前が生まれるだけである。
彼らは「つながり」をやたら大事にする。
しかし、そのつながりは、社会のためのつながりではない。
自分が寂しくないためのつながりである。
自分がすごそうに見えるためのつながりである。
自分が選ばれた側にいると錯覚するためのつながりである。
要するに、群れである。
しかも、獲物を狩る群れではない。
池のまわりで集まって鳴いているカエルの群れである。
ゲコゲコ。
「いやー、今度何かやりましょう」
ゲコゲコ。
「すごい人紹介しますよ」
ゲコゲコ。
「このメンバー、ほんと面白いですよね」
そして朝になると、池は静かになる。
何も変わっていない。
彼らはよく「刺激をもらった」と言う。
だが、刺激をもらうだけなら電気風呂でいい。
問題は、その刺激で何を作ったのかである。
雇用を増やしたのか。
新しい商品を作ったのか。
若い人を育てたのか。
地域に利益を還元したのか。
困っている人を助けたのか。
自分の会社を強くしたのか。
何もしていない。
ただ集まり、飲み、写真を撮り、感謝し、翌日また同じような投稿をする。
これは経営ではない。
これは大人の学芸会である。
しかも始末が悪いのは、本人たちが自分を遊び人だと思っていないことである。
彼らは自分たちを、社会を動かす側の人間だと思っている。
地域のキーパーソンだと思っている。
文化を作っていると思っている。
人と人をつなぐ存在だと思っている。
しかし、冷静に見れば、単に同じ階層の人間同士で安心し合っているだけである。
「あなたもすごい」
「いや、あなたこそすごい」
「いやいや、みんなで何かやりましょう」
この相互ヨイショの輪の中で、誰も真実を言わない。
「で、あなたは何を作ったんですか」
「それで、誰が救われたんですか」
「その会に、何の意味があるんですか」
「その写真、毎回同じじゃないですか」
こういうことを言う人間は呼ばれない。
だから当然ワシは呼ばれない。
実に健全である。
そもそもワシは、群れるのが嫌いである。
パーティーも嫌いである。
知らない人とグラスを持って立ったまま話すなど、拷問に近い。
「野村さん、もっと外に出て人脈を広げた方がいいですよ」
余計なお世話である。
人脈という言葉を使う人間ほど、人間を脈で見ている。
血管か。
ワシは循環器内科に来たのではない。
本当に必要な人とは、仕事の現場で出会う。
修羅場で出会う。
約束を守るかどうかで分かる。
金の話になった時に分かる。
責任を背負う場面で分かる。
パーティーで分かるのは、せいぜい酒癖と写真写りだけである。
もちろん、楽しく飲むこと自体を否定するつもりはない。
仲間と食事をするのもいい。
友人と騒ぐのもいい。
人生には無駄も必要である。
だが、無駄を無駄として楽しめばいい。
問題は、ただの飲み会に「社会的意義」という化粧を塗ることである。
ただの群れに「コミュニティ」という横文字を貼ることである。
ただの見栄に「ブランディング」という札をつけることである。
ただの暇つぶしに「次世代リーダー交流会」という名前をつけることである。
そこが気持ち悪い。
遊ぶなら遊べ。
飲むなら飲め。
群れるなら群れろ。
しかし、それを未来だの地域だの社会課題だのと呼ぶなや。
本当に社会を変えている人間は、たいてい地味である。
机に向かっている。
現場に立っている。
従業員と話している。
数字を見ている。
クレームを受けている。
銀行に頭を下げている。
商品を直している。
泥をかぶっている。
その姿は、あまり写真映えしない。
だから、パリピ経営者たちはそこへ行かない。
泥の匂いがしない場所に集まる。
照明のいい場所に集まる。
グラスが光る場所に集まる。
「すごい人」がいる場所に集まる。
だが、社会を動かすのは、すごい人が集まる夜ではない。
翌朝、二日酔いでも会社に行く人間である。
誰も見ていないところで、ちゃんと責任を果たす人間である。
親の遺産に座るのではなく、自分の代で何を積み上げるかを考える人間である。
パリピ経営者に足りないのは、金ではない。
人脈でもない。
情報でもない。
足りないのは、孤独である。
一人で考える時間。
一人で責任を負う覚悟。
一人で嫌われる勇気。
一人で決断する胆力。
それがないから、群れる。
それがないから、騒ぐ。
それがないから、意味ありげな会を開く。
それがないから、写真を撮る。
そしてまた言う。
「最高の仲間に感謝」
違う。
最高の仲間ではない。
最高に似た者同士なだけである。
ワシは、あの輪の中に入りたいとは思わない。
たぶん入っても、五分で帰る。
そして帰り道に、こう思う。
今日もまた、日本のどこかで、何も生まれないパーティーがひとつ終わった。
めでたいことである。
少なくとも、シャンパン業界には貢献している。

