沖縄慰霊の日(2026年)

自分の考えや主張を持つこと自体は自由だと思う。反対意見を持つことも民主主義の中では当然ある。

ただ、こうした追悼の場や国の式典で、総理大臣の言葉をかき消すようにヤジを飛ばし続ける行為は明らかに違う。そこには戦没者や英霊を悼むために集まっている多くの人たちがいて、その静かな時間や思いを壊してしまう。

自分の主張を伝える場はいくらでもあるのに、あえて追悼の場で叫ぶのは、周囲への迷惑だけでなく、亡くなられた方々への敬意を欠く行為だと思う。さらに、度を超えて式典の進行を妨害したり秩序を乱せば、単なる抗議では済まず、場合によっては公務執行妨害や威力業務妨害など法的責任を問われる可能性もある。

自由には責任が伴う。追悼の場で最低限守るべき礼節と秩序はあるはずだ。

平和と叫ぶ人たちはどこかの国が攻めてきたらどうするのか?と聞けば話し合いで解決できるとよく言うが、平和と唱えるだけでは無理だから防衛力をという考えを全く聞こうともせずに自分たちの意見だけを押し通そうとする姿勢がすでに話し合いでの解決は難しいと実践しているだけに話し合いだけは無理かと思います。
そもそも平和!平和!と言っている人達が一番好戦的なのはどういうことでしょうね。

沖縄戦の「24万人に謝れ」と高市総理にヤジを飛ばす前に、まず現実に最近起きた辺野古の事故で亡くなった方の遺族に向き合うべきではないか。慰霊の日に戦没者を悼む場で怒号を浴びせることが、本当に平和を願う態度なのか疑問だ。戦争反対は当然であり、誰も戦争など望んでいない。しかし、相手が仕掛けてきた場合、国民の命を守るために対応せざるを得ないのも現実である。平和を語るなら、過去の悲劇だけでなく、今目の前で失われた命にも誠実であるべきだ。ヤジではなく、まず遺族への謝罪と事実の検証が必要だ。

平和や差別反対を殊更に叫ぶ方々はどうして毎度の事ながら『人の話』が聞けないのだろう。思想は自由ですが、相手の話を聞き、その上で自らの主張を行う姿勢こそが民主主義であり、平和の在り方の基本であると思います。その基本すらも守れない方々が築こうとする平和は果たして大多数の国民にとっての平和であるのか。疑問を抱かざるを得ません。平和や差別反対を主張する方々が平和的な対話を拒み、平然と差別を行い、暴力で社会を変えたいと堂々と主張する姿はあまりにも皮肉で支持が広がるとは思えません。

テレビを見ていました。調整をしたのか追いやったのか、一番最初と比べ、徐々にヤジがマイクに入らなくなったような気がします。
場所をわきまえずヤジを飛ばすやつらのことはとりあえず置いておいて、この時代ですからいろいろな機材はあるはずです。外野の音を極力拾わないマイクを使うなどの放送局の配慮が足りなかったのではないでしょうか。

「ヤジの嵐」と聞くとこの追悼式に参列していた人の多くから声が上がったような印象を受けますが、実際は「その界隈」の人だけですよね?
追悼式という場で、そして総理大臣のスピーチにヤジを飛ばすような人たちって大人としてどうかと思いますけどね。

元々は沖縄で生まれ育った人ではない活動目的で沖縄に来た人の主張を「沖縄の総意」っぽく言われることに、「同じにされたら迷惑だ」と思っている本当の沖縄県民も多いのではないかと想像します。