高倉健と申します

高倉健といえば、共演者やスタッフに深く頭を下げ「高倉健と申します」と丁寧に挨拶する姿が知られている。大スターでありながら、誰に対しても変わらないその姿勢を不思議に思う人も多かったという。

実はこの礼儀の原点には、ある一人の先輩俳優との出会いがある。

あるとき、高倉健と三船敏郎の対談が組まれた。

その日、三船は休日。高倉は映画の撮影が入っていた。段取りとしては、高倉が撮影を終えてから対談に入る流れになっており、三船は自らハンドルを握って高倉のいる東映撮影所まで出向くことになっていた。

休日の大先輩が、自分のために車を走らせて来てくれる。その事実が高倉の胸に重くのしかかった。

「三船さんを待たせてはいけない」

その思いが強すぎたのだろう。芝居に力が入りすぎてしまい、撮影は予定より押してしまった。皮肉なことに、焦りが逆に時間を奪った。

ようやく撮影を終えた高倉は、急いで三船の待つ部屋へ向かった。ドアを開ける。まず謝罪を、と口を開きかけた瞬間だった。

三船敏郎は椅子から立ち上がり、こちらに向き直った。

「三船敏郎と申します」

深く頭を下げた。

世界のミフネが、後輩である自分に対して先に名乗り、先に頭を下げている。高倉は言葉を失った。

そして待たせたことへの謝罪を伝えると、三船はこう返した。

「役者は待つのが仕事ですから」

笑顔だった。

待たされた側が先に立ち上がり、先に名乗り、先に頭を下げる。相手に恥をかかせない。気まずさを感じさせない。それを自然体でやってのける。

高倉健はこの日の三船の振る舞いに衝撃を受けたという。

格というものは威張ることで示すのではない。どれだけ上に立っても腰を低くできる人間こそが本物の格を持っている。三船敏郎はその背中でそれを教えた。

以来、高倉健は生涯を通じて誰に対しても「高倉健と申します」と頭を下げ続けた。その一礼の奥には、あの日の三船敏郎の姿がずっと生きていたのだろう。