今こそ脱炭素やろ

石油が足りないと、急に石油が大事になる国。

「脱化石燃料」と言っていたはずである。
「脱プラスチック」と言っていたはずである。
「脱炭素」と言い、「サステナブル」と言い、「地球にやさしい暮らし」と言っていたはずである。

ところが、原油が足りなくなると、世の中は一斉に大騒ぎする。
ガソリンが高い。
物流が止まる。
飛行機が飛ばない。
工場が困る。
農業が困る。
生活が困る。

では聞きたい。
そんなに困るなら、いつ「脱化石燃料」できるのか。

平時には石油を悪者にする。
有事には石油を取り合う。
会議では脱炭素を唱える。
現場では軽油がなければ一歩も動かない。
紙ストローで環境意識を示しながら、その紙ストローを運ぶトラックは軽油で走っている。
これを矛盾と言わずして、何と言うのだ?
バカげているにもほどがある。

化石燃料依存から抜け出す方向性は正しい。
問題はそこではない。
世界は抜け出せる仕組みを作らずに、抜け出した顔だけしてきた。それが問題である。

出来ていたなら「たかがホルムズ海峡封鎖如きでビクともせんわい」と余裕をぶちかましていたはずであるが、実際はビクともせんどころかビクビクしているだけである。

物流、農業、医療、建設、漁業、航空、船舶。
社会の背骨をすべて含めて、石油なしで回せる設計図を誰が描いていたか。
誰も描いていない。
だから他国の戦争ひとつで、昨日まで悪者だったものが、今日は命綱になる。
これが現実である。

世の中の掛け声はいつも立派だ。
SDGs。脱炭素。持続可能。グリーン社会。地球にやさしい未来。
だが足元を見ると、相変わらず石油の上に立っている。

石油で作った靴を履き、石油で運ばれた商品を買い、石油由来のスマホケースを握りしめながら、石油を批判している。
これは環境意識ではない。
文明への甘えである。

本気で脱化石燃料を言うなら、原油が足りない今こそ「よし、これを機に一気にやめよう」と言えなければならない。

しかし、誰も言えない。

言えないどころか、もっと原油をくれ、もっと安くしろ、もっと安定供給しろと叫んでいる。
私たちはまだ、石油文明を卒業していない。
卒業式の答辞だけ、先に読んでいるだけである。
「私たちは化石燃料の時代を終え、新しい時代へ旅立ちます」
そう言いながら、帰りのバスは軽油で走っている。

もうあまりにも幼稚で、アホらしくて脱力して脱毛してしまうほどバカバカしい。
もうできないなら、この程度の原油不足で連日キャンキャン騒ぐぐらいなら、取り敢えずSDGsとかそういう子供が熱に浮かされたうわ言みたいな戯言を言うのはやめた方がいいんじゃないかとワシは思う。