乞食酒

乞食酒を飲むな。
祖父の名は、慶一だった。
チチヤスの創業家三代目。
原爆でお客も市場も何もかもなくして潰れる寸前だった田舎の小さな牛乳屋チチヤスを、全国区の乳業メーカーに育てた人物である。
慶太郎の「慶」は、祖父にもらった。
その祖父が、ワシが若い頃によく言っていた言葉がある。
「乞食酒は飲むな」
最初は、ただ酒をたかるな、という意味だと思っていた。
しかし、祖父に聞くと違った。
祖父の言う「乞食酒」とは、普段は人にへりくだっている人間が、いざ自分がお金を払う側に回った途端、急に威張り散らす酒のことだった。
居酒屋で店員に横柄になる。
タクシーの運転手に命令口調になる。
コンビニのレジでぞんざいな態度を取る。
たった数百円、数千円を払っただけで、まるで相手の人格まで買ったような顔をする。
祖父は、そういう人間を心底嫌っていた。
そして祖父自身は、まったく逆の人だった。
お金を払うときこそ腰が低く、何かをしてもらったときこそ丁寧に礼を言った。相手が店員であろうが、運転手であろうが、職人であろうが、立場で人を見下すことをしなかった。
今思えば、祖父はよくわかっていたのだと思う。
人間の品性は、偉い人の前では出ない。自分が客になったときに出る。相手が反論しにくい立場にいるときに出る。
つまり、人間の底は、弱い立場の相手への態度に出る。
一億円払っても、卑しい人間は卑しい。
百円しか払わなくても、品のある人間は品がある。
金を払うことと、人間として上に立つことは、まったく別の話だ。
そういう人間を見るたびに、祖父なら何と言うだろうかと思う。
たぶん、こう言う。
「あれは、乞食酒を飲んどる」
ここでいう「乞食」とは、貧しさのことではない。
心の卑しさのことだ。
普段、満たされていない。普段、認められていない。
だから、ほんの少し金を払う側に回った瞬間、その反動で威張る。
それは強さではない。弱さの裏返しである。
本当に強い人間は、店員に威張らない。
本当に余裕のある人間は、そこで自然に「ありがとう」と言える。
祖父が教えてくれたのは、酒の飲み方ではなかった。金を払うときこそ頭を下げろ、という人間のあり方だった。
今の世の中には、酒を飲んでいなくても、毎日乞食酒を飲んでいる人間がいる。
会計の瞬間だけ偉くなる人間。
発注した瞬間に人格が変わる人間。
挙げ句の果てには、自分の金でもない金を貸しただけで威張り散らす銀行員までいる。
「客」という札をぶら下げた途端に、急に大きな声を出す人間。
祖父のその言葉を、そういう馬鹿どもに投げ返してやりたい。
乞食酒を飲むな。
人にたかるな、という意味ではない。
金を払った程度で人を見下して威張るな、という意味である
それができない者は、どれだけ財布が厚くても、心は貧しい。
だから永久に幸せにはなれない。
祖父なら、そう言って静かに盃を置いたはずである。
