働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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おはようございます。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

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学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

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2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

▷▷次のページは

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

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どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です

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働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします

おはようございます。

2018年9月のビルメン王によりますブログ配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思った