凄まじい展示

心がキュッ (ネガティブな意味で) となる絵画はありますか?
ごめんなさい、絵画ではなく歴史建造物(会津武家屋敷)の展示物なんですが、どこかにこの絵画が無いかと探してみましたが、出て来るのは会津武家屋敷の写真ばかり。
それならと、撮った写真を載せます。

慶応4年8月戊辰戦争の終盤、新政府軍を食い止めようと送られた正規軍や白虎隊などがことごとく破られ、会津若松城下へ新政府軍が侵攻。

状況を察した会津の婦女子は、「戦の役に立たない婦女子まで城に籠城しては城の食料が不足する」
かと言って、城下の屋敷に留まっていたのでは敵兵に辱められる事もあり得る。
と、戦の足手まといにならないよう城下の屋敷に残り、自刃する事を決意。

会津筆頭家老西郷頼母家では、西郷の母・妹・妻・娘など21人が屋敷内で自刃。

特に、妻の千重子(34歳)は、断腸の思いで三女田鶴子(9歳)、四女常盤子(4歳)、五女李子(2歳)を自らの懐剣で刺し殺し、自身も喉を突いて自刃。

辞世の句は
「なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節の ありとこそきけ」

長女細布子(16歳)と次女瀑布子(13歳)は
「手をとりてともに行きなば迷わじょ」
「いざたどらまし死出の山路」
と連歌を詠み自刃

新政府軍薩摩藩士の川島信行(もしくは土佐藩士の中島信行との説もあり)が屋敷内に侵攻した時にはまだ長女細布子(16歳)が死にきれずに苦しんでいる。
何者かが部屋に入って来た気配を察して、細布子が「その所に参らるゝは、敵か味方か」と尋ねる。
敵と申せば戦う気概を感じたので、川島は「味方だ!」と叫び、細布子は懐剣で自らの喉を刺そうとしたが力足らず・・・。
不憫に思った川島が介錯をし、皆の辞世の短冊を持ち帰った。

恐らく血の海と化していただろうこの部屋で母や妹の亡骸を横に、敵であらば最後の力を振り絞って戦おうとした細布子はまだ16歳。
細布子と一緒に自刃した次女瀑布子は13歳、今で言うなら高校1年生女子と中学1年生女子の姉妹。

この写真を見るたびに何とも言えない身震いが起きます。