始末に負えない者
西郷隆盛の言葉を集めた「西郷南洲遺訓」には、次のような言葉がある。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。」
お金や名誉で釣ることもできず、命もいらない人間は、当然ながら上司に平気でたてつくわけで、まことに扱いにくい。全然いうこと聞かないんだもの。部下に持ちたくないタイプ。
ところが西郷はさらに次のように続ける。
「此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」
面白い。いうことを全然聞かない、金でも名誉でも釣ることができないような人物でなければ、艱難辛苦を一緒に乗り越えて国家の問題を解決することはできないのだという。
勝海舟の言葉を集めた「氷川清話」だったと思うけれど、面白い話が収録されている。
「西郷隆盛に会いたいので紹介文を書いてほしい」と頼みに来た男が来た。その様子をみて西郷を殺すつもりだな、と察した勝は「あんたを殺すつもりのようだから会ってやってくれないか」と書いた手紙を書いたという。
明治維新で活躍した人物たちは、命を捨ててかかっているところがあった。勝自身も、自分を切りに来た坂本龍馬と会い、逆に竜馬はすっかりほれ込んで勝の弟子になった話は有名。
西郷と同じ薩摩藩で活躍した大久保利通もそう。大久保は国家の中枢に残り、権力の絶頂にいたのだから、当然命を狙われていた。しかし、警護をつけようとしなかったため、ついに殺された。大久保は「自分はどこかで殺されても仕方ない」と観念していたところがあったのだろう。
将軍の支配から天皇制へと大きく国家の体制が変わる大転換の中でも、どうにか統一を損なわずに移行できたのは、そうした連中がいたからだろう。
さて、昨日、「「プーチン後」考」という論考を投稿した(https://note.com/shinshinohara/n/n12f13a891d83?sub_rt=share_sb)けれど、プーチン氏は西郷とは異なり、金や名誉、地位で釣ることができ、命が惜しい人間ばかりを出世させ、清廉潔白で金も名誉も地位もいらないような人間は左遷する、という形の国家運営をしている様子。
そうした、どこかに腐敗堕落した部分を備えた人間ばかりを従えることにより、自分だけが清廉潔白、というフリができる、というのが、プーチンの支配体制となっているといえるのだろう。
プーチン氏はKGB出身ということで、弱みを牛耳ることで人を動かす、という手法に長けるようになった。しかしこのために、ロシアは多少なりとも腐敗堕落した人間しか出世できなくなり、プーチン氏が恐怖でそれらの人間を支配するという手法以外では人を動かせなくなってしまった。つまり、人間的に信じることができない人間ばかりで国家が運営されているといえる。
こうした国家では、プーチン氏がいなくなったら、人間的に暗い部分を持っている人間ばかりが権力を握っているから、何をしでかすかわからない人間ばかり、ということになる。「プーチン後」のロシアは、大混乱が避けがたいように思う。
もしプーチン氏のようなアプローチではなく、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」は、仕末に困るもの」たちで運営される国家だったら、リーダーが入れ替わったとしてもそうそう国家の姿は変わらずに済んだろう。プーチン氏が西郷のアプローチをとれなかったのは、今後のロシアを考えるに、かえすがえすも残念。
ところで、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」はちっとも上のいうことを聞かないわけで、こういう人間を明治の人間たちはどのようにして扱っていたのだろう?
「任せた」「預けた」のだと思う。
蛤御門の変で薩摩が防衛していた時、長州藩の攻撃が激しく、前線がもう持たないと思った部下が、指揮にあたっていた西郷に援軍を頼みに走った。すると西郷は「死せ(死ね)」といったという。この言葉を聞いた前線の武士たちは命を捨てて奮闘、なんとか押し返したという。
もう持たない、援軍を、と頼みに来た死者に「死ね」とは、ひどい言葉のようにも思える。しかしこの言葉は、西郷の人柄から考えると、「お前らが負けて死んだら俺も死ぬよ」という裏メッセージが張り付いていることを、前線の武士たちは察したのだろう。西郷が死ぬつもりなら、どうして俺たちが命を惜しんでおられようか、と、文字通り命を捨てる覚悟を固めることにつながったのだろう。
西郷は、いったん部下に任せたらあれこれ口を出すことは一切しなかった。完全に部下に任せた。それでいて、うまくいかなければ任命した自分の不明に責任がある、として、部下に責任を取らせようとしなかった。つまり、西郷は部下に任せた以上、自分の運命も部下に預けてしまう人間だった。
天下の大西郷が仕事を自分にまかせた。それと同時に、その仕事の成否で西郷の運命も自分次第。西郷の命を預けられた部下は「ここまで自分を信頼し、任せてくれた西郷を死なせてなるものか」と獅子奮迅の活躍をした。
古代中国に予譲という人物がいた。
予譲は殺された君主の仇を討つために、体に漆を塗って皮膚をただれさせ、炭を飲んで声を潰すなどして姿を変え、何度も趙襄子を襲ったが、ついに変装が見破られ、捕まってしまった。
趙襄子は「お前は最後の君主に仕える前、二人の君主のもとで働いていたが、その二人のためには何もしようとしなかったのに、なぜ最後の君主のためにそこまでするのだ」と訊いた。
すると予譲は、「先の二人の君主は私を小人物として扱ったから、その程度の働きで報いた。しかし最後の君主の智伯は私を士として扱った。『士は己を知る者のために死す』だ」と答えた。
趙襄子はその覚悟に感動したけれど、何度もしつこく自分の命を狙った予譲を許すわけにもいかない。すると予譲は「せめてあなたの服をいただけないか。それを斬り割くことで智伯へのたむけとしたい」と言って、趙襄子の服をもらい受け、それを三度斬った後、「これで智伯にご報告できる」と言って、自ら首を刺して死んだ。
智伯はおそらく、予譲に任せ、預ける人だったのだろう。予譲はそのことに感動し、何としても智伯のために働きたい、という気持ちになったのだろう。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」を動かす、唯一の方法。それは、「任せる」そして「預ける」なのだと思う。いったん任せたからには、やり方から結果から、一切口を出さない。本人のやりたいように任せてしまう。そして、その人に仕事を任せた責任を負うことで、自分の運命も相手に預けてしまう。すると、そうした「始末に困る」人は、自分に「任せ、預けた」人を道連れにしてはならぬ、と感奮し、必死になったのだろう。
大村益次郎も、「己を知る者のために死す」と、感奮した人物の一人だろう。
町医者でしかなかった大村は、長州藩のために命を懸けるような義理はなかった。しかし、大村の眼識の高さを知った桂小五郎は大村を長州藩の軍の最高責任者に大抜擢した。大村は、一介の医師でしかない自分にすべてを任せ、預けた、失敗すれば当然任命責任を問われる桂のために獅子奮迅の働きをし、見事第二次長州征伐にやってきた幕府軍を撃退した。
現在のロシアは、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」という、清廉潔白な気性を持っている人は、プーチン氏に警戒され、左遷させられるという厄介な問題がある。
困難を共にし、国家の大業をなす人物は現れるのか。
「プーチン後」のロシアは、幾重にも困難が待ち構えているように思われる。

