過激派

革マル派と中核派は、もともとは1957年に結成された同じ新左翼組織「革命的共産主義者同盟(革共同)」を源流とする兄弟組織です。1963年に組織づくりの方針をめぐって分裂して以降、「どちらが正統な革命前衛党か」をめぐって激しく対立しました。ちなみに、先ほどの和光大学内ゲバ事件(最決平成8年1月29日)も、1985年に革マル派が和光大学構内で中核派を襲撃した事件です。

両者の違いは、一言でいえば「理論と組織温存を最優先する革マル派」と「街頭での実力闘争と大衆運動を最優先する中核派」という点にあります。 比較項目革マル派中核派 正式名称革共同・革命的マルクス主義派革共同・全国委員会 創設期の指導者黒田寛一本多延嘉 運動スタイル理論重視・組織温存・労組や学園への浸透街頭武装闘争・大衆運動・ゲリラ闘争 他党派との関係共闘を拒絶し他党派の解体・吸収を図る他セクトとも積極的に共闘を組む ヘルメット白地に黒文字で「Z」(全学連)白地に黒文字で「中核」

1. 組織づくりの方針と他党派への姿勢(分裂の直接原因)

  • 革マル派(理論と純粋培養): 「大衆運動を広げる前に、まず理論的に純化された強固な前衛党(自派組織)を作ることが先決だ」と主張しました。他の新左翼セクトとの共闘を一切拒否し、他党派を理論批判と実力で解体・吸収して自派のみが唯一の革命勢力になるという排他的な路線(「のりこえの論理」)を採りました。
  • 中核派(行動と大衆闘争): 「現実の大衆運動や街頭での激しい実力闘争を通じてこそ、組織と労働者・学生は鍛えられる」と主張しました。ブント(共産同)や社青同解放派など他の新左翼セクトとも積極的に共闘(三派全学連など)を組み、反戦運動や学園紛争の拡大を主導しました。

2. 街頭闘争へのスタンス(組織温存 vs 実力闘争)

  • 革マル派: 警察(機動隊)との正面衝突によって大量の逮捕者を出し、組織が破壊されることを極度に嫌いました。1969年の東大安田講堂事件でも、機動隊の突入直前に部隊を撤退させて組織を温存したため、他党派から「敵前逃亡」と激しく非難されました。その代わり、大学自治会や旧国鉄(のちのJR総連系)・郵政などの基幹産業の労働組合内部へ静かに深く浸透し、シンパや資金源を確保する戦術を採りました。
  • 中核派: 羽田事件、東大安田講堂事件、三里塚(成田)闘争、渋谷暴動など、機動隊との激しい街頭激突を最前線で戦い、大量の逮捕者を出しながらも武装闘争・実力闘争を貫きました。1970年代後半以降は、非公然組織(革命軍)による火炎瓶や迫撃弾を用いたゲリラ事件も多数引き起こしています。

3. 思想面での対立(「反帝・反スタ」の当てはめ)

  • 両派とも、アメリカや日本などの資本主義国(帝国主義)だけでなく、ソ連・中国・日本共産党(スターリン主義)も同時に打倒すべきだとする「反帝国主義・反スターリン主義(反帝・反スタ)」という基本思想はまったく同じです。
  • しかし、たとえばベトナム戦争当時、中核派が「アメリカ帝国主義と戦う北ベトナムを実力で支援すべきだ」と主張したのに対し、革マル派は「北ベトナムの背後にはソ連や中国(スターリン主義)がいる以上、無条件に支援するのは誤りだ」と批判するなど、原則の適用をめぐってことごとく対立しました。

なぜ凄惨な「内ゲバ(殺し合い)」に至ったのか 基本思想が同じであるがゆえの「近親憎悪」と、学園や労働組合の主導権をめぐる覇権争いが原因です。街頭闘争で中核派が警察の摘発を受けて消耗する一方、組織を温存した革マル派が勢力を広げて中核派などを実力で排除し始めました。決定打となったのは1975年3月、革マル派が中核派の最高指導者・本多延嘉書記長を襲撃して殺害した事件です。これを受けて中核派が「復讐戦」を宣言し、双方が鉄パイプ等で相手の幹部や活動家を襲撃し合う報復の連鎖が1980年代後半まで続き、両派合わせて100名以上の死者を出すに至りました。

日本共産党と民青(日本民主青年同盟)は、選挙と議会を通じて合法的・平和的に社会変革を目指す「既成左翼(旧左翼)」の親組織と青年組織の関係にあります。これに対し、革マル派・中核派などの「新左翼(過激派)」は、「日本共産党は議会主義に妥協して革命を裏切った」と反発して飛び出した急進派グループであり、両者は協力関係どころか激しく敵対する「水と油」の関係にあります。 比較項目日本共産党・民青革マル派・中核派 分類既成左翼(旧左翼)・合法政党系新左翼・極左暴力集団 学生運動での通称代々木系(共産党本部が代々木にあるため)反代々木系(反日共系) 変革の手段選挙と議会による多数派形成(平和革命)実力闘争・街頭武装闘争・ゼネスト(暴力革命) 大学での活動方針学費や教育環境の改善・学園の民主化バリケード封鎖・大学解体・拠点化 相手への呼称ニセ「左翼」暴力集団・トロツキストスターリン主義者・日共・民青(民コロ)

1. 日本共産党と「民青」の関係

  • 日本共産党: 1922年に創設された日本で最も歴史の長い政党の一つで、国会や地方議会に議席を持つ合法政党です。本部が東京都渋谷区の代々木にあることから、学生運動や政治の世界では隠語的に「代々木」と呼ばれてきました。
  • 民青(日本民主青年同盟): 日本共産党の指導・援助を受け、共産党の綱領を学びながら活動する15歳〜30歳前後の青年・学生組織です。事実上の共産党の青年部・学生部にあたり、大学キャンパス内では学費値上げ反対、奨学金拡充、就職難対策など、学生の生活に密着した穏健・合法的な要求運動やサークル活動を展開してきました。

2. なぜ革マル派・中核派と分裂・敵対したのか(歴史的経緯)

  • 1950年代半ば、日本共産党がそれまでの武装闘争路線を自己批判して「議会を通じた平和的変革」へと大きく舵を切り(1955年の第6回全国協議会)、さらに1956年にソ連でスターリン批判が起きたことがきっかけです。
  • これに対し、共産党の学生党員だった急進的な若者たちが「日本共産党は官僚主義(スターリン主義)に陥り、暴力革命を放棄した右翼日和見主義だ」と猛反発しました。彼らが1950年代後半〜60年安保闘争の過程で共産党から除名・離党して独自に結成したのが、革共同(のちの革マル派・中核派)やブント(共産主義者同盟)などの「新左翼(反代々木系)」です。

3. 革命理論と運動スタイルの決定的な違い

  • 共産党・民青(二段階革命論・議会重視): 「現在の日本はアメリカに事実上従属し、大企業が支配している」と分析し、まずは選挙で過半数の支持を得て日米安保条約の廃棄などを実現する「民主主義革命」を行い、その後に国民の合意のもとで「社会主義」へ進むという二段階の平和的移行を掲げます。そのため、火炎瓶や鉄パイプを使う街頭武装闘争には「国民を遠ざけ、警察の弾圧に口実を与える挑発行為だ」として真っ向から反対します。
  • 革マル派・中核派(一段階革命論・実力闘争): 選挙や議会による変革を「ブルジョア議会への屈服」として全面否定し、労働者のゼネストや実力闘争によって直接資本主義(日本帝国主義)を打倒する社会主義革命・世界革命を掲げます。その際、日本共産党や民青を「労働者や学生の闘争を抑え込む最大の裏切り者(スターリン主義者)」と位置づけて攻撃対象にしました。

4. 大学キャンパスでの衝突と現在の関係

  • 1960年代後半〜70年代の大学紛争では、キャンパスをバリケード封鎖して機動隊と衝突しようとする革マル派・中核派などの新左翼に対し、民青は「暴力による学園破壊反対・授業再開・自治会の正常化」を掲げて対抗しました。当時の東大紛争などでは、新左翼の襲撃に対抗するため民青側も黄色いヘルメットを被った防衛部隊(「あかつき行動隊」など)を組織し、大学構内で新左翼セクトと民青が激しく衝突することも珍しくありませんでした。
  • こうした歴史があるため、日本共産党と民青は現在でも革マル派や中核派を「自分たちとは無関係どころか、共産党を破壊しようとしてきた『ニセ「左翼」暴力集団』である」と公式に厳しく非難しており、新左翼側も共産党・民青を敵視し続けています。