辺野古担当教諭の自殺
今年3月、沖縄県名護市辺野古沖で、同志社国際高校の生徒、武石知華(ともか)さん(17)が研修旅行の平和学習中に死亡したボート転覆事故。8月23日の朝9時半ごろ、この研修旅行に同行していた59歳の男性教諭(以下、A教諭)が、電車にはねられ死亡した。現場の状況から自殺とみられるが、なぜA教諭は自らの命を絶ったのか。研修旅行での事故後、A教諭は休職を申し出ていたというのだが……。 【写真を見る】「一見近寄りがたいが、優しい」 A教諭が亡くなった事故現場 ***
転覆事故における学校の責任が問われているただ中に自ら命を絶つとは、いかなる事情があったのだろうか。 亡くなったA教諭は京大工学部出身。修士課程を終えて同校に化学教諭として赴任した。大学ではアメフト部に在籍し、鍛えられた体が特徴的だったという。沖縄への研修旅行の引率経験が豊富で、西田喜久夫前校長の下、平和学習の一端を担ってきたベテランだった。実際、事故が発生した3月の研修旅行にも同行していた。 7月31日に同志社が公表した特別調査委員会の報告書によれば、A教諭は亡くなった小型船「不屈」の金井創船長と面識があることがうかがえ、 〈辺野古ボートコースのボートが抗議船であることに係る各担任教員の認識〉 との項目では、以下のように記されている。 〈a7教諭(A教諭)も、c1氏(金井船長)が抗議活動をしているため、生徒が乗船するボートが抗議船である可能性は認識していたものの、例年実施されてきたプログラムであり、これまで問題なく実施されてきたとの認識から、危険性を特段意識することはなかった〉 また事前の下見について、同僚から「乗船するボートを見ておくべきでは」と相談されたA教諭は、 〈去年と全く同じやり方をするなら、行かないこともあり得る。(中略)昨年度とやり方を変えないものから下見の対象から外していくことは当然だと思う〉 そう回答し、結果的に全7コースのうち「辺野古ボートコース」は下見の対象から外れてしまったとある。
転覆した移設抗議船「不屈」の曳航に向け、ダイバーが準備を進めていた
このような経緯もあってか、3月の事故後、A教諭は憔悴し切っていたという。ある学校関係者は、 「先生は、旅行の計画立案に深く携わっていたこともあり、他の先生方よりもはるかに責任を痛感している様子でした。事故直後からネットでも名指しで中傷され、周囲にも『事故が起きたのは自分のせいだ』『武石さんのご遺族に申し訳ない』と、しきりに漏らしていました。特別調査委員会が動き出し、先生も5月にはヒアリングを受けていますが、その間もずっと悩み続けていたのです」 そうした中で本人は、西田前校長にある“申し出”をしていたという。 「精神的な疲労が重なり、著しく体調を崩した先生は、校長に『休職させてほしい』と願い出たのです。ところが、調査の最中だったこともあって引き止められてしまった。先生はその時、『8月いっぱいは待ってほしい』と告げられたと聞いています」(同) 同校に、A教諭と西田前校長との「あつれき」について聞くと、以下の回答だった。 「恐れ入りますが、本校教員に関する個別の質問にはお答えできません」 A教諭の休職の申し出が許可されていれば、あるいは「第二の悲劇」は起こらなかったかもしれないのである。 9月3日発売の「週刊新潮」では、同志社国際高校の在校生や京大研究室時代の先輩が明かすA教諭の素顔、さらには8月末で解任された西田前校長の取材に対する反応などと併せて詳しく報じる。
