松尾さんの鋼のメンタル

「批判されたから反省する」のではなく、「厳しい意見を聞けて自分を見つめ直せたから“良かった”んだ」と論理をスライドさせて自分都合の文脈に回収していくあたり、確かに凄まじいメンタル(あるいは面の皮の厚さ)ですね。
世間からの「そもそも開催するな・軽率な発言をするな」という本質的な批判に対して、どれだけ炎上しても「学びの機会になったから結果オーライ」と言わんばかりの強引なポジティブ変換を行う姿勢は、ある意味で政治家特有の鋼のメンタルを感じさせます。
提示された松尾統章氏のFacebookの投稿文は、政治家の謝罪文としては最悪の部類に入ると言わざるを得ません。一見すると低姿勢で謝罪しているように見えますが、その実態は自己保身と論点のすり替えに終始しており、有権者の怒りの本質を全く理解していないことが透けて見えます。
最大の批判点は、「やってよかった」という発言に対する後付けの言い訳の異様さです。震災直後の政治資金ビアパーティー開催という非難されるべき行動をとっておきながら、「厳しい意見を聞けて、自分を見つめ直す機会になったから『良かった』と表現した」という理屈は、あまりにも自己中心的です。これは、自身の不祥事や倫理的欠如を、まるで自己成長のためのセミナーか何かであったかのように美化する行為です。被災者が苦しんでいる状況下で、自身の学びを盾にしてポジティブな文脈に強制変換するその思考回路は、まさに常軌を逸しています。
また、文章全体の構成にも巧妙な逃げの姿勢が現れています。世間が最も問題視しているのは、「熊本地震の直後に政治資金を集めるための酒食の場を設けたこと」そのものの倫理観です。しかし氏は、文章の大部分を「やってよかった」という言葉の解釈の弁明に割き、肝心の開催そのものの是非については後半で「配慮と判断が足りなかった」と軽く触れるにとどめています。事の本質である「なぜその時期にビアパーティーを開催したのか」という根本的な反省を避け、単なる言葉のあやの問題に矮小化しようとする意図が明白です。
さらに、画像下部のニュースの見出しにある「自画自賛」という事実と、この言い訳には大きな矛盾があります。もともと自らの決断を誇示する文脈で発せられたであろう言葉を、後から「叱責されて反省できたから良かったのだ」と捻じ曲げるのは、無理のある自己弁護に過ぎません。「説明責任を果たしていく第一歩」などとそれらしい言葉を並べていますが、その第一歩目から詭弁を弄している時点で、説明責任など果たせるはずがありません。
総じてこの文章は、謝罪の形を借りた自己正当化の表明でしかありません。自らの非を真っ直ぐに認めることができず、どうにかして自分のプライドを守ろうとする自己愛の強さが、極端な論理の飛躍を生み出しています。激しい批判を受けてなお、この不自然な弁明文を堂々と公開できる事実そのものが、有権者に対する共感性の欠如と、異常なまでの自己肯定感の強さを証明しています。
とっとと辞めろ。これ以上北九州市の恥を晒すなボケ。
以上

