調子に乗るなよ公務員
全農林警職法事件について
(最大判昭和48年4月25日)
戦後すぐの頃。かつて、日本は公務員天国でした。公務員のくせに労働組合活動、何でもやって良かったのです。
警職法反対闘争
けいしょくほうはんたいとうそう
1958年(昭和33)10~11月の、警察官職務執行法改正に対する国民的反対運動。10月8日岸信介(のぶすけ)内閣は同法改正案を突然国会に上程した。同案は、法執行の重点を、個人の生命、安全、財産保護から「公共の安全と秩序」を守ることまで拡大することによって、警察官の警告、制止や立入りの権限を強化し、また「凶器の所持」調べを名目とする令状なしの身体検査や、保護を名目とする留置を可能にするという内容であり、国民に戦前の「オイコラ警察」を想起させた。上程に先だつ10月4日には日米安全保障条約改定第1回会談があり、安保改定に連動する動きであった。
この警職法改正への国民の対応はすばやく、3日後の10月11日に社会党、総評、全日農、護憲連合など7団体が共闘連絡会議を開催。会議は16日には66団体が参加する警職法改悪反対国民会議に発展し、加盟団体は11月7日現在396、組織人員は1000万人に達した。地方でも県単位の共闘会議が45都道府県で成立、中央では共闘から排除された共産党も27道府県で参加が認められた。反対運動の特色は、大衆娯楽誌『週刊明星(みょうじょう)』が「デートも邪魔する警職法」の特集を組んだことに象徴されているように、児童文学者協会、日本写真家協会、日本シナリオ作家協会、日本キリスト教女子青年会、全国の旅館業者が参加し、地域では同人雑誌グループ、山岳会などが参加するというかつてない結集の幅広さをもったことであった。統一行動は10~11月の間5波にわたり実施されたが、11月5日には労働者のスト・職場大会、街頭での抗議行動に400万人が参加した。この盛り上がりのなかで22日政府は改正を断念、戦後日本で議会外の運動が院内多数党に勝利した初の体験となった。岸内閣退陣要求にまで発展した世論は、その後皇太子妃決定によるいわゆる「ミッチーブーム」により水をさされたが、この闘争経験は次の安保改定反対闘争に受け継がれた。
ということで、公務員もこぞってこの反対運動に勤しみました。で、剛を煮やした官憲が逮捕します。労働基本権の侵害だと上告します。
下記判決を分かりやすく解説します。 「あおり行為等の罪として刑事制裁を科されるのはそのうち違法性の強い争議行為に対するものに限るとし、あるいはまた、あおり行為等につき、争議行為の企画、共謀、説得、慫慂、指令等を争議行為にいわゆる通常随伴するものとして、国公法上不処罰とされる争議行為自体と同一視し、かかるあおり等の行為自体の違法性の強弱または社会的許容性の有無を論ずることは、いずれも、とうてい是認することができない。」
この全農林警職法事件判決は、これ以前の都教組事件判決のいわゆる「二重のしぼり」論を全面否定して、判例変更したわけね。
つまり、
① 「あおり行為等の罪として刑事制裁を科されるのはそのうち違法性の強い争議行為に対するものに限るとし」
→ これが第一の「しぼり」。ストの「あおり行為」が罰せられるのは、あおり行為の中でも得に違法性の強いものに限られるとしたわけ。違法性が強くなければ罰せられないとして、公務員の争議行為を認める方向にしてるわけ。
② 「あるいはまた、あおり行為等につき、争議行為の企画、共謀、説得、慫慂、指令等を争議行為にいわゆる通常随伴するものとして、国公法上不処罰とされる争議行為自体と同一視し、かかるあおり等の行為自体の違法性の強弱または社会的許容性の有無を論ずることは、」
→ これが第二のしぼり。「あおり行為」の中でも、処罰される行為をしぼってるわけ。つまり、あおり行為と認定されても、その中で特に社会的許容性がないものだけが処罰されるってこと。これも公務員の争議行為を楽にして認める方向ね。
以上が「二重のしぼり論」ね。
③ 「いずれも、とうてい是認することができない。」
→ こんな理論は絶対に認めないぞ、と最高裁判所が判例を変更したわけね。これで公務員の争議行為は、がぜん制限を厳しく受けることになり、国民に迷惑をかけることがなくなりましたとさ。めでたし、めでたし。
ここまで長い文を読んでいただきました方へ。本件を通じて警職法自体の改正は成りませんでしたが、実質的な判例変更を持ってそれに替えた歴史的転換点であったと言って良いでしょう。なおわたしは祖父を(宇佐)海軍航空隊整備兵、実父を(福岡縣)都道府県警察官に持ちますそっち側の人間ですから、その点の意見の偏りは割引いてお読みください。
以上です