小さな親切、大きなお世話

人間、もっと好き嫌いで話していいと思っている筆者です。

毎日毎日、日本のどこかで、ズケズケとホントのことを言ってしまう、書いてしまう、そんな人間(おっさん)として発信していこうと思っています。

さて、近頃は、カネもうけ主義の反対作用として同様に発展してきた、かのアメリカさんにおける寄付文化というのもようやく下火になってきたというのに、NPOとか、ソーシャルビジネスとか、ボランティアとか、そういう筆者の嫌いな恩着せがましい、自己満足フルマックスの、時代遅れの態様が未だに権勢を振るっている不思議な国日本について書いてみたいと思います。

だいたい、貧困とかそういうのを絶対的指標で考えることの無意味さについては、多くの人がその通りだと思っているのにもかかわらず、いまだに、国際指標上どうにでもできる貧困指標などをもとにして、日本は失われた何年で貧困化がこれだけ進んだみたいな議論が多く起こっていますが、そんなの当たり前です。

国民みんな歳をとっただけです。

そして、労働生産性は落ちているくせに(要するに若くないくせに)、いっちょまえの報酬や給料をもらう、わけであります。

筆者個人の事例を考えてみても、5年前のわたしと今の私とで、特に労働生産性が上がったとは到底思えません。

むしろおっさん度を増しただけ、生産性は下がっていると思います。

社会全体で、高齢化シフトし、少子化がますます進んでいる、しなびた国日本になってきているわけですから、ここにいくら公共投資だ金融緩和政策だとカンフル剤をぶちこんだところで、肝心かなめの国民が疲れて高齢化しているのですから無理なのです。

そして、マーケットを考えたら困ってて手を差し伸べて欲しい人の数は永遠の少数派です。

多数は、手と差し伸べてほしいなどと発言することはしません。

そして、逆に勝手に手を差し伸べたいと考えている人の数がいつも多いのです。

要するに、手を差し伸べてほしいと表に出して頼む側と、いつでも支援しますよと支援を口に出しておきながら、本当は何もやらない多数の側が、いつもミスマッチをしているのが、今の社会の構図なのだと思っています。

わが日本、この社会は困ってても手を上げないつつましい人が大多数なのです。

そして、手伝うから何でも言ってよ、というのは、単なる社交辞令だったりミスマッチを助長するだけの余計なお世話だったり、要するに、何の役にも立たない、むしろ触れると有害な関係だったりするということなのです。

それではさようなら。

以上

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