医療

【医療】
解熱治癒記念に、一筆奏上。
今回、おそらく新型コロナ(武漢株から数えて何世代目かよくわからない、とりあえず令和6年版?)に感染し、40度超えの発熱を経験し、24時間ほど外界の交流を絶って時と精神の修行部屋に籠もって養生しました。おかげさまで、治癒しました。熱も36度後半のいわゆる平熱に下がり、体重も、BMI22である64.9kgを達成し、さらに良質の免疫抗体を獲得できたということで、非常に喜ばしいことです。しかしながら、それら客観的外形的な「治って良かったね」結果的な要素だけではなく、高熱にうなされながらもなんとなく冷静にぼーっと考えていたことが思い返すと意外に今の自分でも最も腹落ちしたので書いておきたいと思います。まあ、臨死体験を語る、みたいなもんです。いつもながら前置きが長いですが気軽に読んでください。
わたしは病院は行かない、といってますし今回もあれだけ家人や家族や知人や親戚、ファン(公式?)にも病院行けば?いきなさいよ、と言われても頑なに行かなかった理由を要素で分けると2つになります。まず一点は、こうした事態に備えて普段から身体を鍛えて準備しているので、身体の自主免疫力に期待して、余計な薬物治療などでその活躍の場を取り上げないようにしたい、ということです。ガチの勝負でこの「新型コロナ(令和6年版?)」と勝負してみたいという気持ちがありました。ネット?誌上でも今年の新型コロナはかなり症状がきつくてしんどい、という話は流れてきましたし、近くの知人友人、家族も実際に高熱になっているのを知っているので、正直あまり驚きはありませんでした。来るべきものがきたなという感じです。従って、自分自身で決めたドクターストップレベル(記憶が飛ぶとか、失禁しちゃうとかの生命危険域レベル)に至るまでは自力抗体で耐えてみようと決めたわけです。決めたそばから熱が38.0度から39.3度に上がり、もう体温図るのもめんどい、って感じになりましたけど。ということで理由①は、自力でこの流行りの病気というやつと勝負してみたかったから、味わってみたかったから、ということになります。もちろん、他人にはおすすめするものではありません。あくまでもマイルールです。ご利用は計画的に、あくまでも自己責任、ってやつです。これが第一の理由。個人的な部類にはいります。続いて、次の理由は、より社会公益的なものになります。貴重な医療資源を、この程度の私のようなおっさんに割くのは勿体ない、という私なりの遠慮というか謙譲の精神です。医療というのは、膨大な知的金額的コストをかけて世界中で準備されているものです。こういう社会的インフラ、なかんずく高度先進医療というやつは、これを真に必要とする、私などがいつも適当に言い放つ言い方で言えば、「女子供たち」から優先的に使うべきものであります。いい年したおっさんが、十分社会的に認知されている、ちょっと調べれば症状や治癒までの道程くらいわかるもの、についていちいち、特効薬のコロナ新薬ゾコーバとか寄越せ!みたいなことを病院で叫ぶのはカッコ悪いじゃないか、そんな暇があるなら少なくとも日本の医療は、日本の少子化を止めるような何かの役割にその力を割いてくださることを期待しますよ、というようなところでしょうか。これが、より本源的な理由②でございました。
医療と宗教、それぞれ、人間を救う何らかの「奥義」として、古来から人間社会では育成されてきました。身体にいい食べ物とか、適度な運動が寿命を伸ばすとか、より笑ったほうが人生楽しいとか、習慣が人生を作るとか、そういう話を聞けば聞くほど、医療と人の「思想」とは渾然一体になったもののような気がしています。外科手術をあまり良しとしない東洋医学の世界では、身体の不調は心の不調と喝破して、その元になる心のほうをうまいことケアするみたいですね。かのスティーブ・ジョブズも晩年、禅などの東洋思想にハマったようですが、まあ、若い頃はカネカネカネで、他者を引きずり下ろしてビジネス戦争の世界でやりたい放題、やりまくっていたような人間でも、最後は病を得るとこのような境地に至るのかと思いました。なので、わたしは、病が治った、と思ったこの瞬間にこれを書いて、将来の自分への戒めとしたいと思います。これで、今度不治の病とか、突然の事故、みたいなもので人生の大きな部分が失われようとも、それはそれで仕方ない、こだわらない、と思えるようになりました。
このようなことは、今しか書けないと思いますので、乱文ですが、残しておくことにします。まあ通常運転です。とりあえず、今後加筆修正あるとは思いますが、以上です。