スタートアップや新規事業はどうやって死ぬのか

まえがき

以下は、朝早く会社行って考えたり、いつも行く喫茶店でいろいろ考えたり、ふらりとやってくる客や取引先や知り合いや友人やはたまた家族らから、質問などを受けるので答えたりしながら、ああ、自分は声に出しながらこんなこと考えて腹落ちしてるんやな、と思うことを書いたものです。

だいたい、与太話だからみなさんがまじめに聞くことないですけど、カチッとしたセミナーや社内の会議なんぞで話すことよりよっぽど腹落ちすると自分自身が思うので自分用メモとしても書いておきます。

いつも、なんかの合理的ゴールや意図ある打ち合わせであっても、こんなくだらない話や歴史の話をしてしまい、時間を溶かす我々のような発達障害気味の連中が、いつもいつも言うこと、救えない自己陶酔の果てに最後の話と言いながらやっぱり壊れたテープレコーダーのように繰り返して同じことをいうようなことなのです。

それでもいくつかのスタートアップや新規事業者を死から救い、そして引き上げることができるのであれば、場の雰囲気や、少々嫌われようが、それはそれでやるべきだし、そんな柔らかくて気持ち良い人間関係なんて思い切り壊してもやる価値はあると思っています。

どうせ、こんな話は誰も見ないし読まないし、それでもなんとなく土壇場になって、この極めて辛気臭いトークを一気に書きあげたわけであります(その後、ちょこちょこ推敲してますw)。

これは別にエッセイでもなく、要するに、自分が毒を吐いているだけです。

めんどうなミーティングまでに2時間しかなく、書いているときが一番早く考えられるので書き出したというまでです。

スタートアップ連中の建前と本音

だいたい、どんなスタートアップだろうが、新規事業だろうが、投資を始めた会社のほとんどは成功すると思っています。

これはマジです。

ではなぜ成功しているのを見るのが少ないのか。

言い方を変えると、君たちの会社のほとんどは、成功する前に転身するということです。

ここから、です調をやめます。

そう言うと、あんまりいいことには聞こえなくなる。実際、このことを考えると奇妙に感じられる。私たちの成功の定義は創業者がひたすら成功して金持ちになり有名になるいうことだ。

投資したスタートアップのほとんどが成功するというのは、君たちのほとんどが金持ちになってウェイウェイするということである。

だけど、みなさんその成功する前、金持ちになる前に転身する。転身というのは本業に戻るとか、家族を養うとか結婚をするとか、大学院で学び直すとか、部署や会社を変わるとか異動するとか旅に出るとか、そういう、一見、もっともな理由に彩られておるけれども、本音は単純、今のくそったれな環境から逃げたいだけのクソな建前だ。

ただ続けて、ひたすら続けて死を免れることができれば成功して金持ちになれる、それだけのことなのに、冗談のように聞こえるかもしれないが、これは典型的なスタートアップや新規事業でよく起きることを良く言い表している。

素早く成功した新規事業?うまく行ったスタートアップ?そんなもんはねえよ。

大成功したスタートアップも死にかけてる新規事業だって確かに全く同じことが起こっているわけよ。

単に成功して金持ちになるまで死を回避し続けた、集中してあがき続けた、それだけ。

本当に死の近くまで行った、だけど息してるんだったらオッケー。

いつも資金切れでピーピーしていても、投資家どもにバカにされても罵られても、顧客が1人もいなくても、それでもいいし、いっしょにやってる仲間同士のいさかいも、なんでもあってよいのだ。ていうかそんなのが通常状態。

私たちが、いろいろ新しい事業とか、ソーシャルビジネスとか、その他いろいろ新しいこと、を始めたいとかのたまう人らに一貫して言うのは、いろいろ中断する言い訳はいいから、ということだけで、連携とか方向性とか座組みとか仕組みとかそんなのばっかりの御託の前にさっさとやれよ、生き続けるために必要な具体的な動きをしろよ、投資ラウンドから手を引こうとしていた投資家を説得する前に、パワポ作る前に動けよ、泣き言言う暇あったらやれば?という必要がいつもいつもあるわけ。

成功して金持ちになる途上は、いつもいつも死神と戦い続けるということだ。

幸運とは準備が機会に出会うことだという言葉を聞いたことがあるかもしれない。君たちは準備の方はやっている。君たちがこれまでにやってきたことは、幸運を受け入れる位置に君たちを置いている。あとは会社を死なせずにいられれば、金持ちになることができる。君たちは 他の多くの人が持つ以上のものを手にしているのだ。だからどうすれば死なずにいられるかについて話すことにしよう。そいつは簡単だ。動き続けろ。その場を守り、しぶとくやりつづけることだ。他に転身しないことだ。自分を誤魔化さないことだ。

私たちは今までにいろいろな修羅場やら槍襖(やりぶすま)をくぐってきて、そして多くのスタートアップが死ぬのを目にしてきた。

だいたい10社以上くらいだ。個人事業主も含むし、国会議員とか地方議員みたいな収益事業とは近くないようなのも含むけど、とにかく新規事業やらスタートアップが死ぬ時に何が起きるのか正確なところはわからない。でも、彼らは一般に華々しく英雄的に死ぬわけではなく、どこかにこっそり転身して這い出していって、そして新規事業戦士としては、ひっそりと死ぬのだ。

ひっそりと死んで、そのくせどこかに落ち延びて、こっそりと口をぬぐって片隅で平然と、何もなかったようにのうのうと生きている。ハッ!くだらん。

私たちから見て近づきつつある終焉の目印になるのは、彼らから連絡が途絶えるということだ。新規事業やりますの人々が、スタートアップやりはじめてから2、3カ月音沙汰がなく、彼らの噂もほかから聞かなくなったなら、それは悪い兆候だ。

SNSでメールを送ってどんな具合か聞いても返事が返ってこないなら、それは本当に悪い印だ。

これまでのところ、これは100%正確な指標になっている。連絡が途切れる、これが新規事業者の死を意味する。

一方で、そうではなく、スタートアップが新しいけれどもなんにも練られていないくだらない取引やサービスや、しょうもないリリースを定期的にやっていて、私たちにメールしてきたり、向こうから話したいとか言ってきて、顔を出したりしているのであれば、彼らはたぶんしばらく生きながらえる。

こんなふうに言うのが無邪気すぎるように聞こえるのは分かっているが、しかしこの繋がりは双方向に作用するのだ。君たちがどうにか私たちと連絡を絶やさないようにできたなら、君たちの会社や事業が死ぬことはない。我々にすら忘れられるなら、本当に世の中から忘れられる。というか、自分で自分のこの過去を消したいのではないのかな?

そしてこれは聞いた感じほど無邪気でもないかもしれない。定期的な茶のみ話で私たちや他の創業者たちと顔を合わせることで、より多くのことを成し遂げるようになったのに気付いていると思う。

茶飲み話は、何よりも小さなデモや説明や懺悔の場でもあるからだ。毎回の食事会は、一種の強烈な〆切として機能する。

だから定期的に私たちと連絡を取るだけのことが、何かを成し遂げるようにと君たちを後押しするのだ。そうしないと、この前の時から何もやってないと言って恥ずかしい思いをすることになるからで、そのことは本人が一番わかっているからだ。

だから、嫌でも会え。現実から目を逸らすな。自分を誤魔化すな。やれてないのはテメエがゲスでクズで極め付けのアホだからだ。何ふてくされて寝てんだよ。不機嫌になって他人の気を引こうとかすんな。一日4時間寝れば十分じゃないか。メシなぞカロリーメイトで充分。ご飯と納豆。ラップでおにぎりにして食いながら仕事せえよ。寝てないあとの20時間、やれること無限にあるぜ。土日?祝日?それは美味しいのか?そもそもお前らがやってることは、ほぼ100%、今を生きる奴には必要ないサービスだよ。だからお前らが夢中にならなくて誰が夢中になるの?バカかお前らは。お前らがやってるのは、新規事業なんだぜ?新規事業やる奴らが他のみんなとおんなじことやっててどうすんの?

これがうまく機能するなら、すごいハウツーと言えるだろう。私たちと定期的にコンタクトを取り続けるだけで金持ちになれるなんて、すごくクールなじゃない?

バカみたいに聞こえるけど、これがうまくいく見込みは十分にある。だって死なないし、何より転身しないから。ダサい地位にとどまり続けることが、できるなら。クソでも投げつけたい気分になっても最後の最後まで、どこどこまでも切れずに踏みとどまり続ける、そんなアップアップの毎日を、お前らの苦しみ続ける顔を見たいわけよ。身体壊してオッケーオッケー。精神病んでオッケーまるのすけ。死なないから大丈夫。続けていれば。息してるなら。充分にガンギマリでお前らが仕上がったころ、光明が、見えるかもしれない。知らんけど。

これのバリエーションとして次におすすめするのは、ベンチャーキャピタルや、一見優しげな、でも本音はサイコパスなわたしのような個人投資家の投資や貸金を受けてしまった、ごく少数の、他のスタートアップや新規事業者とおおいに接することだ。今では日本や九州のそこらじゅうに彼らがいる。その中にいれば、ずっとずっと熱心に仕事するよう変態的な仲間のプレッシャーを受け続けることになる。

新規事業やスタートアップが死ぬときには、公式の理由はいつも資金切れか、主要な創業者が抜けたためとされる。両方同時に起こる場合も多い。しかしその背後にある本当の理由は、彼らがやる気をなくしたためだけに過ぎない、やる気なくして転身しただけだと私は考えている。

取引したり新機能を作り出したりして24時間働き続けていて床で寝ているスタートアップが、つけを払えなくてISPからサービスを切られたために突然死んで、お空の星になったというような話はめったに聞かない。

スタートアップがキーを打って動き回って、口からなんらかの音を吐いている最中に死ぬことはめったにないのだ。だからキーを打ち続けよう!喋り続けよう!作業しつづけるのだ。死なないから大丈夫!

しがみついてさえいれば金持ちになれるというのに、こうも多くのスタートアップがやる気をなくして失敗するのは、スタートアップをやるというのがすごく滅入るものだということだ。

新規事業を成功させるとは

キラキラからほど遠いのがスタートアップ。

新規事業は泥まみれ。

これは確かにその通りだ。私がそこにいて、そして今もそこにいる。最悪だ。最悪だけど、生きてるって実感があるよ。たまんないね。裸の勝負だ。人間対人間の、ガチンコ勝負だ。

スタートアップにおけるひどい時期というのは、耐えがたいほどにひどいものだ。たとえGoogleであろうと、何も救いがないように思える時期があったはずだ。

そのことを知っているのは少しは助けになるだろう。ときにひどい思いをすることもあるのだと知っていれば、ひどい思いをしたときに「ああ、これはひどい。もうやめよう」と思わずに済む。みんなそんな風に感じるのだ。そして踏みとどまってさえいれば、やがてものごとは良くなるかもしれない。だけどたいてい、ずっと最低最悪だけど。スタートアップをやるのがどんな風に感じられるかは、よくジェットコースターにたとえられる。溺れるのとは違う。ただ沈み続けるのではなく、沈んだ後には浮かび上がる。でもいつかはわからない。

もうひとつ不安に思えるけどスタートアップにおいては正常なことに、自分のやっていることが機能していないように感じられるというのがある。そんな風に感じられる理由は、君たちのやることがたぶん機能しないからだ。スタートアップがものごとを最初から正しくやるということはほとんどない。それよりずっとありそうなのは、何かをローンチするが、誰も注意を払わないということだ。そうなったとしても、失敗したと思わないことだ。スタートアップではそれが普通のことなのだ。しかし何もせずにぶらぶらしていてはいけない。繰り返すことだ。誰も見てなくてもね。

誰かが本当に好きになるものを作るべく試みよという言葉を私は大変気に入っている。ほんのわずかのユーザーであっても、その人たちが夢中になるものを作れたなら、正しい方向に進んでいるということだ。自分の作ったものを本当に気に入っているユーザーが一握りでもいるというのはすごくやる気になる。そしてスタートアップはやる気で動いているものなのだ。それだけじゃない。彼らは何にフォーカスすべきかを教えてくれる。彼らが気に入っているのはどこなんだろう?それをもっとやることはできないだろうか?そういったことが好きな人たちはどこへ行けば見つかるのだろう?君たちのことを気に入っているコアとなるユーザーがいるなら、あとやるべきことは、それを広げていくということだけだ。時間はかかるかもしれないが、やり続けていれば、最後には勝つことができる。成功するのには何年もかかったが、コアとなる熱狂的なユーザーたちから始めた新規事業者がやらなければならなかったのは、そのコアを少しずつ広げていくということだけだった。今同じ道をたどっている。

だから何かをリリースしたけれど誰も関心を持っていないようなときには、もっと注意してよく見てみるといい。気に入ってくれているユーザーが本当に1人もいないのか、あるいはわずかでも気に入ってくれているユーザーがいるのか?1人もいないというのはすごくありうることだ。その場合には、製品に手を入れてもう一度試してみること。君たちはみんな、少なくとも1つの成功するバリエーションがある領域にいる。やり続けていれば、きっとそれを見つけることができる。

やるべきでないことにも触れておこう。やるべきでない第一のことは、他のことだ。転身してはいけない。別のことはやらない、しない。ダメ、ゼッタイ。

自分が「だけどスタートアップの仕事は続けていくつもりだ」で終わる話をしているのに気づいたなら、まずい状況にいると思え?

わたしは大学院に行くけれど、我々はスタートアップの仕事を続けていくつもりだ。

我々は故郷の佐賀に戻るけれど、スタートアップの仕事は続けていくつもりだ。

我々はコンサルティング仕事を受託して引き受けたが、スタートアップの仕事も続けていくつもりだ。

これらの言葉はみんな、単にこう言い換えていい。 「我々はスタートアップをあきらめるが、自分でそう認めたくないのだ」。多くの場合実際に意味しているのはそういうことなのだ。スタートアップをやるのはすごく骨が折れる。 「だけど」なんて言葉を前につけてやれることではない。だけどは禁句だ。転身という死の薬だ。甘美で誰の文句もない、素敵な眠り薬。ゆったりと、新規事業者としてのイガイガが取れて、深い眠りに至るだろう。アーメン。

とくに大学院に行ったりしないことだ。そしてほかのプロジェクトを始めたりしないこと。注意が分散するのはスタートアップには致命的だ。大学に行く(戻る)というのはスタートアップの死の強力な目印になる。スタートアップを一番殺しているのは大学という教育機関だ。教育でスタートアップができるかってんだ。必要なのは、死をも楽しむ鋼のメンタルと、強靭な体力、あとは同じことをしつこく続けるその根気だけだ。大学に行くなんてのは、社会活動をするなんてのも、注意が分散するだけでなく、自分のやっていることに言い訳を与えることになるだけだ。

スタートアップだけをやっているなら、スタートアップの失敗は自分の失敗ということになる。大学院に行っていてスタートアップが失敗するなら、後でこう言うことができる。 「ああ、大学院にいたとき片手間にスタートアップをやっていたけど、形にならなかったね」

自分がただ1つ従事している仕事であれば、「形にならなかった」みたいな婉曲表現は使えないだろう。そんなことは周りが許してくれない。婉曲表現も、確かな新規事業のバロメーターだ。確実に反比例する。

新規事業仕事をやってきて見つけた興味深いことは、創業者たちは何億円も手に入るかもしれないという望みよりは、みっともなく見えることへの恐れにより強く動機づけられ影響されるということだ。

だから大金手にしてウェイウェイしたければ、失敗が公然として恥ずかしいものになるような位置に、常に自分を置くことだ。

私たちがあるイケてる創業者たちと最初に会ったとき、すごく頭は切れるにしても、あまり成功しそうな感じはなかった。彼らが格別打ち込んでいるわけではなかったからだ。2人の創業者の一方はまだ大学院に在籍していた。よくある話だ。スタートアップがうまくいきそうになったらドロップアウトしようというわけだ。その後彼は大学院をドロップアウトしただけでなく、胸のところに 「億万長者」と書かれた全身写真がネット記事に掲載された。彼はもはや失敗するわけにはいかなくなった。彼の知る人間はみなその写真を見ている。高校のとき彼を無視した女の子たちも見ている。彼のお母さんはおそらくその写真を冷蔵庫の扉に貼っていることだろう。いまや失敗は考えられないくらい不面目なことになってしまった。このときに至り、彼はスタートアップの死との戦いに専心するようになったのだ。

私たちが投資したスタートアップをみんな、ネットで相互に次世代の億万長者だと言って取り上げてくれればいいと思う。そうしたら彼らは誰もあきらめるわけにいかなくなる。成功率は100%になるだろう。本気でそう思っている。

新規事業の人たちと最初に会った頃、彼らはのんきで陽気な連中だった。今は彼らと話すと、厳しく断固としているように見える。流通業者は、独占価格を維持するため彼らを叩き潰そうとしている。(2022年になって人々がいまだ分厚い紙のカタログで電子部品を注文していることを奇妙に感じるかもしれない。それには理由があるのだ。価格をオンラインで調べられるようにすることで得られる透明性を、流通業者は阻みたいと思っているのだ。)

私たちはあののんきで陽気な連中を厳しく断固とした人間に変えてしまったことに何か申し訳なく感じることもあるが、それはこの仕事にはつきもののことなのだ。ていうか仕上がった至高の役職員の話は超面白い。

スタートアップが成功するなら、何百万ドルも何億円も手に入る。それだけのお金が、ただくれといってもらえるわけではない。それには相応の痛みが伴うことを覚悟しておく必要がある。

株主にとってどれほど厳しいことがあろうと、彼らは成功するだろうと私は考えている。自分を何か全然違ったものに変えていかなければならないかもしれないが、彼らがただ這い出していって死ぬことはないはずだ。彼らは頭が切れ、有望な領域で働いており、そしてあきらめるわけにいかない立場や環境にいる。生まれ変わることはできない。

そして君たちみんなも、最初の2つはすでに手にしている。みんな頭が切れるし、有望なアイデアを持って働いている。あと生き残るか死ぬかは3番目のものにかかっている。あきらめないということだ。

だから今言っておこう。これからひどいことが起こる。それはスタートアップの常なのだ。ローンチしてからIPOや買収が行われるまでに何らかの災難に見舞われないようなスタートアップは1000に1つというものだ。だからそれでやる気をなくしたりしないことだ。災難に見舞われたら、こう考えることだ。ああ、これがこいつの言っていたやつか。どうしろと言ってたっけな?ああ、そうだ、 「あきらめるな」だ。転身すんなよ!

以上