[00012]私は自分でここへ来た。自分の足でここを出ていく(「もののけ姫」アシタカの言葉)
私は自分でここへ来た。自分の足でここを出ていく。
組長のオッサン「旦那、ここは通れねぇ。ゆるしがなければ門はあけられねぇんだ」
アシタカ「わたしは自分でここへ来た。自分の足でここを出て行く」
門番「無理です!10人かかって開ける扉です!」
オッサン「だんな、いけねェ!!死んじまう!!」
社畜27年目
毎年巡ってきます新年度4月。わたしは働き人として27年目を迎えました。働き始めたのは大学を卒業した年ですから、要するに初老です。一貫して会社組織に属して働く勤め人です。そして、どのような会社や組織においても、自動的に一定年齢が来れば後進に道を譲る、要するに退職が待っています。退職までは時間があったとしても、例えばその前に役職定年や継続雇用といった制度によって、だんだん出涸らしというか使い減りされていくというのがサラリーマン社会の常であります。もちろん、役員に上がればしばらくはその地位も安泰で、これまた役員世界の新人としての新たな出世レースも始まるわけですが、それでも、やっぱり勤め人である以上、どこかで定年や任期満了はやってくるのです。これは自然の摂理でありまして、今年度期待と不安に胸をいっぱいにしてやってくる組織や会社の新人に対して、等しく歳上であるところの先輩社員が思うところでもあります。彼らには時間がありますが、年度目盛りが一つ進んだ既存社員にとっては、単なる通過点でしかないのです。
わたしは自分でここに来た。自分の足でここを出ていく。
冒頭のもののけ姫、主人公アシタカのセリフです。もともとこの映画はもののけ姫というタイトルではなくて、東北蝦夷の大王としてその後君臨したであろうアシタカ大王の若き日の冒険譚を描いたものと筆者は理解していますけれども、それではあまりにも興行上得策ではないだろうということで、アニメキャラクター的に映える(ばえる)女性主人公である化け物である山犬に育てられた人間の娘をもののけ姫と称して世に放ったわけです。女性キャラクターとしては、はるかに敵役であり子供もいるのではないかというウワサの烏帽子御前の方がキャラが立っているわけでありますけれども、やはりどんなに魅力的でも年増女よりも若い女を前面に出したほうが食いつきがいいのは世の常でありますから、そのようになっております。そして、このアシタカが、ご厄介になっていたタタラ場を山犬の姫を引っ担いで去っていく際に放ったセリフがこれです。わたしは自分でここに来た。自分の足でここを出ていく。素晴らしいですね。自分の手足は一切動かさず、それなのに置かれた環境や他人に文句ばっかり言っている自分にとっては大きな喝になります。組織や会社に飼われる人間ではなく、自分の時間を自分で使い切るために、あえて失敗を求めて飛び出す、そのような心意気を持っておくことも必要なのでしょう。
退職する社員に対する態度で上司の人間がわかる
そんなわけで、例えば退職を申し出た社員に対して、お前なんかどこ行っても通用しない、といったようなことを言いつつ、その実何とか引き留めようとさもしい努力をする上司や経営者にだけはなりたくないものです。まず、自社で今後活躍できるかどうかすら、見極めが難しいのに、ましてや他社や他所で活躍できるかどうかなんて、そんなの神ならぬ凡人にはできない技ですし、そもそも、雇用契約も契約のひとつとして、始まりがあれば終わりがあるもの。これまでのご協力と努力と友誼に感謝し、終了することを淡々と見守り、今後の活躍を祈るだけです。他社で活躍するとかしないとか、本来その後の話などどうでもいいことで、自分のできることに集中すべきだと思います。
「私は自分でここへ来た。自分の足でここを出ていく」
「世話になった」
<もののけ姫、アシタカの台詞>
これは、石火矢(いしびや)で胸を撃たれたアシタカがそのままもののけ姫のサンを担いで、みんなに止められながら、血をダラダラ流しながらも、「たたら場」を自分の意志で出ていくときに言うセリフですね。なにがなんでも出ていくというアシタカの強い気持ちが感じられ、そして、このセリフのあとに10人の力でしか開かないという扉をアシタカが右手一本で開けるシーンは、すべての男子の憧れです。筆者も、このようにありたいものです。
ということで、わたしも会社を去るときは、
「私は自分の手で門をたたいてこの会社に来た。自分の足でここを出て旅立つ」
とキメていきたいと密かに思っています。
それでも引き止められたら、
「まだ言うか! 人間の指図は受けぬ!」
と続ける所存。
以上