独断

尾身茂さんの独断

コロナの尾身さん。もともとはポリオ撲滅の感染症予防の実践者です。日本、というか世界で一番感染症の現場を知る人です。

尾身さんの独断がさらっと書かれています。コンプライアンス?熟議?そんなのナンボのもんじゃいという気骨と気合いと執念がこもっていますね。

人間とはかくありたいものです。

2025/03/22の土曜日16時から、天神博多の某所で尾身さんの話が聞けるのを楽しみにしております。

以上

ポリオ根絶へ
チャンスは突然やってき た。入省後1年もたたない る日の夕方、医系人事を担当 する厚生科学課長に突然、呼 ばれた。
(P4)でポリオの根絶を担 当する。どちらに応募するか 聞かれた。「考える時間を下 さい」と返答すると「今すぐ 決めるように」と言われた。 課長職の方が確かに格好は いい。給料も高い。しかし、 やりがいのあるのはP4の方 世界保健機関(WHO)にだと直感、「ポリオでお願い します」と答えた。
もしあのときP5を選択し ていたら、おそらく2年ほど
日本經濟新聞
2025年(令和7年) 3月18日 (火曜日)
私の履歴書
崖身
17
開催してほしい」
ポリオ根絶にはワクチン購 入費など約30億円が必要だっ た。当時、日本は経済バブル のただ中。アジアナンバー1 の経済大国として中国、カン ボジア、ラオス、ベトナムな ど西太平洋地域の流行国にワ クチンを無償で提供しなけれ ばならない。東京で会議を開 けば相当な資金が集まる。ハ 地域事務局長はそう踏んで
マニラWHO地域本部に
30億円のワクチン費集めに苦心
いたのだろう。
スイス・ジュネーブの本部
で日本に帰国することにな り、20年間、WHOで働くこ とはなかったと思う。 1990年9月、フィリピ 以外に、6つの地域事務局が ンの首都マニラに本部のある ある。アジア・太平洋地域を 西太平洋地域事務局に赴任し 管轄する西太平洋地域事務局 た。すぐに韓国出身のハン・ に2つの空席ポストが出たと サンテ地域事務局長から最初 の指示が出た。
いう。
国際会議を開催するといっ てもノウハウも何も持ち合わ せない。天然痘根絶事業で指 導的役割を果たした蟻田功博 士に助言を求めた。 90年4月、東京・市ケ谷で の国際会議の開催になんとか こぎ着けた。世界各国からポ リオの専門家や政府関係者が 参加してくれるか、当日まで
一つは課長職(P5)で地 域事務局長の秘書官的な仕事
「2000年までにポリオ を根絶したい。ドクター尾身 をする。もう一つが課長補佐には来春、東京で国際会議を不安だった。
52ND SESSION
WORLD HEALTH
ORGANIZATION REGIONAL COMMITTEE
FOR THE WESTERN PACIFI
14 SEPTEMBER 200
会議そのものは成功裏に終 わった。しかし、肝心のお金 は一切集まらなかった。ポリ オ根絶の意義にはみな理解を 示したが、要は総論賛成、各 論反対である。発展途上国で の根絶など荒唐無稽なプロジ ェクトと映ったようだ。 30億円の資金集めに一条の 光が差し込んだのは、9年10
月に中国・北京で開いた3回 目の会議だった。国際ロータ リークラブが1億5000万 円の資金提供を申し出てくれ たのだ。
ただ1つ条件があった。中 国では患者の多くが4歳以下 であることを理由に、予防接 種の年齢を5歳以下から4歳 以下に引き下げてほしいとい
WH
O西太平洋地
域委員会の様子
うことだった。
ポリオワクチンの「5歳ル ール」はWHO全体の方針だ った。中国だけ例外というわ けにはいかないと、ジュネー ブから来ていた担当官は変更 を認めない。
私は彼にトイレに行くふり をして中座するよう促した。 その間、「独断」で「引き下 「げ」了承を取り付けた。 このことが後の資金集め の呼び水になった。 当時、ワクチンは消耗 品ゆえに政府開発援助 (ODA)の対象になら ないと日本政府は資金援 助を渋っていた。「ワク
チンは消耗品どころか、 その効果は一生続く」と 私がしつこく説明すると、よ うやく分かってもらえた。 98年8月からの細川護熙政 権時代、ポリオワクチンの調 達費用として7億円の対中無 償資金援助が決まった。
マニラ着任から3年弱。や っとポリオ根絶への手ごたえ を感じ始めた。
(結核予防会理事長)