(2020/11/24)映画「硫黄島からの手紙」

昭和20年(1945年)3月10日は、米軍による東京大空襲が行なわれた日です。

広島・長崎への原爆投下と共に人類史に残る、一般市民の無差別大量虐殺でした。

同じ年の2月19日、硫黄島(いおうじま:国土地理院の正式名称は「いおうとう」)の戦いが始まりました。

米軍は「5日間で攻略する」予定で作戦計画を立てましたが、日本軍の組織的な戦闘は3月26日まで続きました。

5日間どころか、40日近くも日本軍は戦い抜いたのです。

2月23日、摺鉢山の山頂に星条旗が掲揚された際に撮られた写真はピューリッツァー賞を受賞し、勝者の連合国側では第二次世界大戦を象徴するアイコンとなりましたが、そのアイコン化された兵士の苦悩は、別の映画「父親たちの星条旗」という作品に活写されています。

また、日本軍硫黄島守備隊はその後2度に渡って山頂を奪回し代わりに日章旗を掲げたという証言も残っているそうです。

その不屈の精神に、改めて深い敬意と哀悼を捧げたいと思います。

映画の最後で栗林中将は「ここままだ日本か?」とパン屋の招集兵に問います。

戦争末期、職業軍人の方々が戦死する中、硫黄島守備隊の多くは徴兵、つまり、それまで会社員や公務員、或いは自営業を営んでいた市中の方たちだったと聞きます(劇中で二宮和也さんが演じる兵士はパン屋さんでした)。

指揮官であった栗林忠道中将(戦死により最終階級は陸軍大将ですが、生きたときの階級の中将に統一)は、この戦いの目的を「日本本土への侵攻を1日でも遅らせる」という1点に絞り、従来の水際防衛や飛行場死守、および万歳突撃を廃し、地下陣地を構築して徹底的な持久戦・ゲリラ戦を貫きました。

その信念と戦闘に至る過程は、劇中でも詳細に描かれています。

栗林中将と、彼が率いた2万名以上の日本軍将兵は、何故にそれ程まで勇戦することが出来たのでしょうか

先の大戦に対する評価は、様々にあると思います。

無謀な戦争だった、回避することも出来た筈だ、そうした考えがある事も承知しています。

一方で、硫黄島の戦いにより、本土への侵攻が遅れた事は歴史的事実です。

1945年3月10日の東京大空襲(ちなみに関東大震災はちょうど半年ずれた9月10日に起こっています)は、米軍の優勢により島内の飛行場が制圧された後、そこから飛び立ったB-29爆撃機によるものでした。

栗林中将は、硫黄島が敵の手に落ちれば本土爆撃の補給地点にされてしまうという戦略的重要性を、十二分に理解されていました。

だからこそ、不退転の決意で部下と共に徹底抗戦の道を選んだのでしょう。

守備隊の勇戦によって空襲開始の時期が遅れ、その間に疎開出来た人たちも数多くいたはずです。

また、硫黄島のみならず、祖国防衛のために戦って下さった数多くの方々のお陰で私たちも生を得ることができ、そして戦後営々とつながる今日の日本国の繁栄があるのだと思います。

クリント・イーストウッド監督の衡平な製作態度に大いに敬服しつつ、自国の映画において、自虐史観に捕らわれることなく私たちの今に繋がる物語を観たいという想いを強くした映画でした。

本当によく出来た映画です。

何度も観てしまうのものですので、本編については言わずもがな、メイキングのインタビューでクリントが言った言葉を紹介します。

「日本国民は改めて彼らに感謝する必要があると思う。勝ったか負けたかなんて関係なく、彼らが犠牲を払ったことで、現在があるという事実に。」

硫黄島が本土爆撃の拠点にされることを防ぐために、一日でも長く死守しようとした彼らに敬礼したいと思います。

アメリカ人やフランス人やイギリス人は、きっと第二次世界大戦で死んだ自国の兵士は英雄だと胸を張って讃えることができるでしょう。

でも私たち日本人は、そうすることを許されなかった気がします。何十年も犯罪者のように扱われ、アジアの国々を侵略し、おぞましいことを行った野蛮人だと言われ、日本人は生まれながらにそれを反省し恥じるように強いられてきた気がするわけです。

この映画を観て、そして、このクリント・イーストウッド監督のインタビューを聞いて、胸のつっかえが取れたような気がします。

映画の最後に、たくさんの手紙が発掘されます。

死にゆく兵士達は皆それぞれ家族や祖国のことを思い、己の戦いを戦い、そして散っていきました。

彼らが靖国神社にゆくと信じて逝ったのならば、彼らの魂はきっと靖国にあるはずです。

靖国に眠っている彼らのために、彼らに後の命をもらった私たちが祈ることについて、何がいけないのかということです。

前線で戦っていた兵士たちは、連合国も枢軸国も、アメリカ人もイギリス人もドイツ人も日本人も何も変わらないはずです。

家族や国のために、恐怖と絶望を押し殺して戦って、自国本土防衛のために死んだ彼らを誇らしく思い、感謝することの何がいけないのかということです。

栗林中将は総攻撃を仕掛ける直前、皆に言葉をかけます。

「日本が戦に敗れたりと言えど、いつの日か国民が、諸君等の勲功を称え、諸君等の霊に涙し黙祷を捧げる日が必ずや来るであろう」

靖国神社や各都道府県の護国神社に眠る英霊に対しては、日本人なら誰もが感謝すべきあろうと思いました。

これを書いている筆者自身も、命をもらった一人として、後の世の子孫に対して恥ずかしくないような生き方をしたいと思いました。

こちらからは以上です。

硫黄島からの手紙(Letters from IWO JIMA)

(2020/11/24 火曜日)

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