硫黄島について
栗林中将の大本営に向けた決別電報
昭和20年(1945年)3月16日16時過ぎ
戦局、最後の関頭に直面せり。敵来攻以来、麾下(きか)将兵の敢闘は真に鬼神(きじん)を哭(なか)しむるものあり。特に想像を超えたる物量的優勢を以てする陸海空よりの攻撃に対し、宛然(えんぜん)徒手空拳(としゅくうけん)を以て克(よ)く健闘を続けたるは、小職自ら聊(いささ)か悦(よろこ)びとする所なり。
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国の為重きつとめを果たし得で 矢弾(やだま)尽き果て散るぞ悲しき
栗林中将より硫黄島全将兵に発した電報
昭和20年(1945年)3月17日早朝
一、戦局は最後の関頭に直面せり
二、兵団は本十七日夜、総攻撃を決行し敵を撃摧(げきさい)せんとす
三、各部隊は本夜正子を期し各當面の敵を攻撃、最後の一兵となるも飽(あ)く迄(まで)決死敢闘すべし 大君◯◯◯(3語不明)て顧みるを許さず
四、予は常に諸子の先頭に在り
栗林中将の最後の訓示
昭和20年(1945年)3月25日夜 最後の出撃に際して
予が諸君よりも先に、戦陣に散ることがあっても、諸君の今日まで捧(ささ)げた偉功は決して消えるものではない。いま日本は戦に敗れたりといえども、日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対し涙して黙祷(もくとう)を捧げる日が、いつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし。
天皇陛下御製(ぎょせい)
平成6年(1994年)2月、初めて硫黄島の土を踏んだ天皇陛下はこう詠(うた)いました。
精根を込め戦ひし人未(いま)だ地下に眠りて島は悲しき
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栗林中将と、彼が率い彼を戴き戦い散った2万名以上の日本軍将兵。
栗林中将が最後に詠んだ、「悲しき」を受け止めた平成の天皇陛下。
49年の歳月を超え、天皇陛下をお迎えし、散った霊に対し涙して黙祷を捧げる日が来ました。
言葉とはまことに悲しく、そして美しいものであります。
以上