優しい人は、他人に期待しない

相手に期待していない

優しい人は「相手に期待をしていない」から優しいのです。優しい人は相手に対する関心が高い、というのは一見異論の無いことのようにも見えます。
(思いやり、共感、愛情、相手に喜んで欲しい気持ち・・・これらをまとめて関心と呼ぶことにします)
相手への関心が高くても鬼のような人もいます。相手を思うあまり、愛のムチの如く、厳しい態度になることがあります。これは優しいとはいえません。
整理のために、相手への関心の強さと期待の高さで4つに分けます。

①鬼軍曹(強い関心、高い期待)
相手への関心が強いので、世話をしたり、アドバイスしたり、積極的に相手に関わろうとします。そして、相手への期待が高く、求めることも多いのがこのタイプ。
・何かを教えたら、教えたことをミスなくこなしてほしい。
・親切にしたら、ありがとうと言われたい。
・お金を払ったら、相応のサービスがあってほしい。
このように、相手に期待を持っていると、相手に厳しくあたることが多くなります。部下を思って鍛え上げる鬼軍曹のようなタイプです。
で、鬼軍曹も悪くありません。例えば戦場で呑気に部下を殺されたくないし、社会に出てロクなことにならないように、と子供を厳しく躾ける親も、それはそれで当たり前なのです。なので、状況によります。

②優しい人(強い関心、低い期待)
相手への関心が高い一方で、相手への期待が低いのがこのタイプです。
・一生懸命何かを教えた結果、何も身につかなくても、それが当然だと思っている。
・親切にしたのに素っ気ない対応しかなくても、それが当然だと思っている。
・お金を払ったにもかかわらずサービスがいまいちでも、それは良くあることだ思っている。
相手への期待が低いので、どんな結果が返ってきても心が動じません。少しでも良い反応が返ってくれば期待以上になるので、いつも笑顔でいることができます。
さらに、相手への期待を自らへの矢印に向け、相手の気持ちや不幸を、まるでわがことのように心に収めて涙を流すような傑物がまれに出ます。
西南戦争の西郷隆盛公なり、吉田松陰先生、弘法大師空海などが挙げられるでしょう。

③クレーマー(弱い関心、高い期待)
自分では相手に良い働きかけをしないけれども、相手が何かしてくれると期待しているのがクレーマータイプの特徴です。
・部下や同僚は自ら良い働きをすべきである。当たり前だ。
・私は親切にされたい。当然だろ。
・店員たるもの最高のサービスをすべきである。給料もらってんだから。
このタイプは、ときに(いつも?)理不尽な要求につながることがあります。
国会議員に対して、税金もらってんだから人権ない、みたいなことを言う向きですね。
これはいけません。事例は、巷に溢れているので、特にここでは挙げません。
自らは全く責任を負わず、きつい仕事もせず、文句だけ垂れる、野党の国会議員や呑気なマスコミ連中、とだけ言っておきましょうか。

④仙人(弱い関心、低い期待)
相手に対する期待が低く、求めることが多くありません。一方、相手に対する関心も低いので、そもそも他人に関わろうとしません。
あんまりいませんが、在野の片隅には、このような方でも特筆すべき活動や思索、行動を独力でやられている方もいらっしゃるので、そういう人を見出し世に出すのも、凡人の務めかもしれません。

まとめ

真に優しい人になるためには、相手への関心(思いやり、共感、愛情、相手に喜んで欲しい気持ち)だけでは不十分で、「相手への期待の低さ」が重要です。
街で、子供を叱るお母さんをよく見かけます。
「どうして、お前はいつもだらしないの!」
「どうして、お前はいつも服を汚すの!」
「どうして、お前は人の言うことを聞かないの!」
こういうお母さんは鬼軍曹タイプです。子供に対する関心が高いだけでなく、期待も高いのです。期待通りに行動しない子供に腹が立つのです。
優しいお母さんは違います。子供はだらしなくて、服を汚して、人の言うことを聞けない生き物であると重々承知しています。そのうえで、子供のためを思って、何度も根気よく働きかけるのです。
(だらしないのは、大人も子供と似たようなものですが)
世の中には相手への期待が高い人が多いと感じます。期待を下げて、優しく、楽しく、幸せになってほしいと願います。
他人に期待するのはほどほどにして、完全に自由意志の下にある、自分自身に期待し、そして自らを鍛えたほうが面白い、とは思いませんか。
世の中がまるで違って見えてきますよ!
おわり