武原由里子さんインタビュー

長崎県 壱岐市議会議員 武原由里子さんインタビュー

武原由里子(たけはら・ゆりこ)壱岐市議会議員

1964年4月生まれの57歳。出身の熊本県から結婚を機に壱岐に移り、以来32年在住。自学自習型学習塾「壱岐武原塾」主宰。2016年の壱岐市長選挙に出馬、5178票で次点。熊本大学教育学部卒。過去に壱岐市立盈科小学校、霞翠小学校、長崎県立壱岐商業高校などに勤務。8月1日投開票の市議選(定数16)で無所属新人として当選。女性議員は武原議員のみ。

―まずは当選の率直な感想から聞かせてください。得票数877票で4位だそうですね。

武原 出馬を決めたのが告示の2カ月前でして、準備期間が短かったのにここまで票をいただけるとは思いませんでした。

―過去には市長選にも出馬されていますし、市政に関心はあったわけでしょう?今回の出馬を後押ししたものは何だったのですか。

武原 今年春の白川博一市長に対するリコール運動が後押しになりました。法定数には届かず住民投票の請求には至りませんでしたが6603人分の署名が集まりました。この署名活動には、壱岐をこれまで支えてくれた80代や90代といった高齢者が積極的に関わっていました。その姿を見た時に、この島の未来をこれから支える若い世代、私も含めて、次の世代がしっかり動いて島を変えていかなければいけないと感じたのです。

―選挙戦の手応えは当初からありましたか?

武原 まったくありませんでした。なにせ組織も無い状態から始めましたので。後援会長も決まらない、そんなスタートでした。ポスターやチラシなどは平行して準備はしていたものの、実際に動き出すまでに「本当にできるのか」という思いでしたね。選挙に詳しい人々からは、「こんな組織じゃ票が取れないから、やめたほうがいい」とも言われましたよ。そういった人たちは当選したことを奇跡と思っているのではないでしょうか。私自身は、壱岐に移ってから育児サークルや男女共同参画などさまざまな活動を30年にわたって続けてきました。ですから、今回の選挙で評価されなかったら私はこの島に必要ないのでは、という覚悟で取り組んできました。

―告示の前後も含めて有権者の声で印象的だったものは。

武原 5年前に市長選に出馬していたので、「その節はお世話になりました」という挨拶回りからまずは始めていったのですが、当時応援してくださった方々から「武原さん、あなた今まで何をしていたの?」というような声をいただいて。

―待ち望んでいたということでしょうか。

武原 はい。そういった意味では期待されていたのかなと。そこで「市議選にチャレンジして今度こそ市政を変えたいと思っています」とお伝えしていきました。5年間のブランクはありましたが、多くの方々と良いお話が出来たと思います。
また、辻立ちを始めて以降は、女性を中心に、日に日に反応が良くなっていきました。特に後半は皆さんの熱量が直接伝わってくるように感じましたので、市長選の時とは大きな違いでした。

―では877票はどういった方々の支持が集まったのでしょうか。

武原 女性では高齢の方と若い世代、子育て世代ですね。男性は割と高齢の方ではないかと思います。それらの皆さんからは、私が女性ということもあり、「今まで言いたいことがあっても男性議員には言いにくかった」と話してくれる人が多いです。普段、スーパーなどで有権者の人と会っても、私より上の年代の人から「勇気をもらったよ」などと声を掛けられます。

―そういった皆さんの支持があって当選されたわけですが、武原議員が感じる現在の壱岐の問題点は。

武原 元々壱岐は、経済的にみても島だけで完結できる環境なので、それだけ豊かなんですね。例えば、島外資本の量販店やドラッグストアもたくさん入ってきています。それだけ島の皆さんに購買力があって商品が売れるからでしょう。
しかしながら、豊かであるがゆえに、多くの人が今の現状で満足しているのです。あえて変えなくてもよいと。それらの人々は今の市政の恩恵を受けているわけです。そういう市政になっていますから。ところがよく見ると、恩恵を受けている人たちと、そうでない人たちがいる。中には島を出ていく人もいて、実際に人口も減っています。

―であれば、武原議員だからこそチャレンジできる改革は。

武原 なんのしがらみもないし、武原=反現職といったイメージがついているようです(笑)。であれば、おかしいことはきちんと「おかしい」と言えるし、これが私ひとりだったら難しかったりもしますが、今回当選した市議の中には何人か私と考えが近い人がいますので、協力して現状を変えていける部分はたくさんあるのかなと思います。
私自身は、障害がある人など社会的弱者の問題が今まで置き去りにされてきているので、まずはそれらの声をしっかり届けたいと考えています。
というのも、市は今年度から65歳以上を対象に、はり・きゅう・あん摩等助成券を5枚に減らしました。これまでは10枚だったのです。そうすると従来に比べてずいぶんと利用頻度が減る可能性がありますよね。これはマッサージ業を経営されている人にとっては、65歳以上のお客さんが大きく減るという懸念材料になります。助成券が半分になるわけですから死活問題です。そういった声は行政の担当者には届いていないでしょうから。

―背景にあるのは市の財政難ですか。

武原 市は財政立て直しを理由に高齢者向けをはじめとした予算を減らし、その結果、市民サービスが低下しました。それがリコール運動の発端のひとつにもなるのですが、その後、削減されたものの一部が補正予算で復活したのです。ところが、前述の助成券については減らされたままです。

―社会的弱者を守ることは大事なことですよね。加えて、武原議員は子育て支援の充実も訴えています。人口減のお話もありましたが、壱岐は子どもの数も減っていますか?

武原 合計特殊出生率でいうと、壱岐市は全国でも上位です。しかしながら、途中で島を離れてしまうのです。

―なぜでしょう?

武原 進学です。離島なので、子どもの進学とともに親子で島を離れる例があるのです。中には進学を見越して小学生のうちから出ていくパターンもあります。なぜなら、中学校での学習環境がよくない。皆、あまりにも勉強していなのです。島にも壱岐高校と壱岐商業高校の2つの高校がありますが、こう言ってはなんですが、そんなに勉強しなくても入学できる。例えば、受験を控えた中学3年生が、英語のbe動詞と一般動詞の区別がついてない。単語も覚えていない。それくらい1年次と2年次に勉強していないのです。そういう学習環境に親御さんが疑問を感じて子供の進学のために島を離れていく。

―そのような状況は長年続いているのですか。

武原 実は12年程前になりますが、私の息子も中学受験を考えていたのですがタイミングが遅く、高校から福岡に出ました。その当時で島を離れる子はひとつの中学校あたり学年で一桁くらいの人数だったと思います。それが今では一つの中学校で学年のうち20~30人が島を出ます。

―そういう現状を変えていきたいというお気持ちは。

武原 もちろんあります。やり方次第ですよね。今の壱岐は、小学校の学力テストの成績は良いみたいですが、中学校になるとがくんと落ちるようです。やはり勉強が出来ていないのでしょう。
英語の例に戻ると、小学校では外国語の授業をサポートするALT(外国語を母国語に持つ外国語指導助手)もいますが、月に一度ほどの頻度でしか来ることができません。そんな中、市は今年度から、英語を楽しく学ぶための貴重な担い手だったJTE(日本人の英語授業のサポートスタッフ)との契約を切ってしまったのです。クラス担任が教える際は、発音なんかですと、先生の中にも不得意な人がいますからCDを聞かせることもあるみたいです。ただ、どうやら子どもたちはCDだと頭に入りにくいみたいですね。速さも調整できませんから。それで「英語が楽しくない」と言い出す生徒もいるようです。そういうことも考えると、JTEとの契約を切ったことも疑問です。

―壱岐では「問題解決的学習」を進めているそうですが。

武原 これについては「学力が低い生徒はついていけない」といった声があがっています。今の学校は、学力が高い子も低い子も置き去りにしてしまいます。真ん中の子たちにしか合わせていない。私も教員をしていましたから分かるのですが、一斉授業だとどうしてもそうなってしまうのです。だからこそ、一人ひとりに合ったやり方をしないと伸びない。最近では東京都千代田区の麹町中学校が先進的な取り組みをしていますが、壱岐もやり方を考えていかなくてはいけませんね。

―武原議員は、壱岐で教員のほかにも自主育児サークルの「ひまわり」や壱岐子ども劇場など、子どもに関連する活動に携わって来ました。また、2019年からは学習塾の「壱岐武原塾」を主宰していますね。

武原 自学自習型学習塾です。設立のきっかけは、当時、壱岐に移ってきたお母さんと娘さんがいて、その娘さんが不登校だったのですが、お二人の相談に乗ったことが始まりでした。「こういう塾をやってみようと思うのですがいかがですか」と声を掛けたら、「ぜひ通いたい」ということになりまして。親子で塾に訪れていましたが、最初は二人とも暗い感じだったのですが、日を追うごとに明るくなっていきましたよ。
現在も、塾生は学校の勉強についていけない子や問題を抱えた子が多いですね。

―自学自習型ですから、子どもたちが自主的に勉強するわけですね。

武原 はい。皆がそれぞれ自分の学力に合わせて勉強しています。私は普段から声掛けやサポート的なことしかしていません。一から十まで教えるということではなく、生徒が困っている時だけ対応します。eラーニングも採用していますので、子どもたちも問題の解答は動画を見るなどして、それぞれ自分たちでどんどん進めていきます。自分でやって分かったときの面白さ、そこに気づいてくれるとあとは勝手にその先も勉強してくれます。年々、実績も積み重なり、昨年は県外の国立の高専に合格した子もいますよ。今後も子どもたちが勉強できる環境とサポートを提供し続けていきたいです。

―塾生の成長にも期待したいですね。それではここからはご本人の横顔についてお聞きします。元々は熊本県のご出身ですね。

武原 はい。熊本大学教育学部を卒業後、熊本県玉名市立の小学校で2年間教諭を務めました。26歳で結婚を機に壱岐に移って、盈科小学校、霞翠小学校で4年間教員をし、5年前は壱岐商業高校で事務をしていました。

―実は、熊大時代に学外でも活躍していたと聞いています。

武原 当時、開局間もない熊本県民テレビの番組で1年間アシスタントをしていたんです。昭和60年ですよ(笑)。それもあって、求人情報誌の表紙モデルをやったり、国鉄のキャンペーンのCMにも出演させてもらいました。

―熊大といえば当時、宮崎美子さんや斉藤慶子さんもいらっしゃったのでは?
武原 私はちょうど、お二人が有名になった後くらいの世代ですね。それこそ、黒澤明監督の『乱』にご出演されていた宮崎美子さんにインタビューもしましたよ。

―それは貴重な経験ですね。略歴を聞いていると色んなお顔をお持ちなんですね。議員と学習塾主宰、教諭、過去にはタレント的な・・・

武原 それにもちろん、主婦でもあります(笑)。

―休日や、休憩の際には何をしていますか。

武原 寝ています(笑)。私はいつでもどこでも寝ることができますから。選挙期間中も周りの人々は心配で寝れない方もいたようですが、私はしっかり眠れました。

―そのほかご趣味などは。

武原 少し前はフラメンコをしていましたし、コーラスもしていたので歌うのは好きです。あとは、これまでとにかくずっと動きっぱなしだったので、静かに心を落ち着かせるものもやってみたいですね。例えば写経だとか座禅とかでしょうか。

―最後に今後の壱岐に期待することを。

武原 以前、デンマークの180年近い歴史のあるチボリ公園を訪れたことがあって、そこで大人と子どもが楽しそうに観劇していたんですね。自分たちの豊かな文化を大事にしている現地の人たちを目の当たりにして、「こんな小さな島国でもそうだったら、壱岐でも同じようになれるのではないか」と思ったのです。壱岐は古代でも国が成り立っていたように、もともと島だけで完結できる環境、独特の文化だったりを持っていたんです。それは日本人が今まで生きていく中で大切にしてきたものでもあります。それを高齢の人たちがずっと守り続けてきた。私たちはそれを大事にしつつ、「壱岐だからこそ、こういう生き方ができる」といったものを皆が思い返す。それが島をよみがえらせることになるのだろうと思います。無い物ねだりをして島を出ていく人もいますが、実はこの島で何でもできる。島の人たち皆がそれに気づいてやっていったら、これからだって、島外から新しく人々がやって来るのではないかと期待しています。

合同会社鈴木商店は武原由里子さんを応援しています

合同会社鈴木商店は、長崎県対馬市に本店のある小さな事業会社です。対馬市のお隣の離島、長崎県壱岐市は当社としても創業の地であり縁の深い場所です。

一度は行ってみたい、と言われる全国の離島や限界集落の中でも、とりわけ少子高齢化の激しい壱岐の島。

行ってみたいけど、ずっと住むのは無理みたい。そんなどこの離島でも限界集落でも直面している、教育の心配に立ち向かうべく、武原 由里子Facebookページ)さんは、20年前、「島の教育が心配。将来のために中学や高校から島外へ行きます」「壱岐島では障がいを持った子どもは育てられない」と言い残して島を去った友人親子の声に後押しされ、自主育児サークル「ひまわり」を立ちあげました(たけはら由里子Webはこちら)。

離島や限界集落からでも、世界に通用する人材育成はできる。軸を持った若者を育て、そして世界に通用する高等教育を受けていずれは島に戻ってきてもらいたい、そのような願いを込め、活動されてきました。

2019年に、オンライン学習やオフラインでの学び舎を提供することで、心豊かで世界に通用する人材を育てたいと願い、壱岐武原塾を立ち上げました。

この塾から「行く高校はない」「絶対合格しない」「無理」と言われ続けた男子生徒が、中学3年生の最後の最後、ついに自学自習の習慣に目覚め、1日12時間を超える猛勉強の末、弓削商船高専に奇跡の合格を果たしたり、ほぼ不登校で過ごしてきた女子生徒が、塾でのオンラインタブレット学習での自学自習の習慣を手に入れ、福岡市の通信制高校へ進学したりしているそうです。

また、この塾で学んだ生徒は、自分で学習の計画を立て、自分で実行するという、自学自習型の学習スタイルを身につけ、塾長へ感謝の手紙を携えて、卒塾されていくそうです。

たけはら由里子さんの夢は、離島や限界集落からでも、世界に通用する、世界に羽ばたく人材を育成できることを証明することだそうです。世界中どこにいても、いつからでも羽ばたける時代です。たけはら由里子さんのような方の活動がもっと広がるといいなと思います。

合同会社鈴木商店は、壱岐市議会議員になられたたけはら由里子さんを、これからも応援しています。

たけはら由里子Webはこちら

壱岐市議会議員 武原由里子さん(写真クリックでもホームページに飛びます)