(2021/03/25)映えてる若者のInstagramとおっさんおばさん自己満足ツールのFacebookの違いについて(私見)

▼神の一手などという言葉はヒカルの碁からよく使われ出した言葉ですが、そのヒカルの碁では「一人の天才だけで名局は生まれんのじゃ。等しく才たけた者が二人いるんじゃの。二人。二人揃ってはじめて神の一手に、一歩近づく」という言葉があります。神の一手を繰り出す一局が生まれたのは、もちろん藤井棋士が凄いことは言うまでもありませんが、相手となった松尾棋士の力も合わさって生まれたものだと思います。勝負には勝者ありそして敗者あり、良き戦いに良き敗者あり。人生、勝敗や結果それ自体ももちろん大切ではございますが、そもそも自分が挑んだ、勝負の場に逃げずに立った、そのような経験のほうがより大切ではないかと思うわけであります。

▼さて、Facebookというおっさんおばさんツールが、若者男女に見向きもされないので、Facebookという会社は写真アップアプリのInstagramという会社を買収してグループ化しました。なぜFacebookが若者に受けないのかという議論を、家の若手(つまり18歳(2022年4月1日に19歳で法的に成人となる)息子)としたのですが、彼いわく、Facebookの大人たちの偉そうな、上から目線の説教や言辞が嫌いとかそういうわけではなく(そういうところも多くあるように見受けましたが)、そもそもFacebookは実名登録で、あくまでリアルの人間、人格の延長に過ぎないものだけれども、InstagramやTwitterは、そのネット上で完璧にリアルな人格とは別人格で振る舞い存在するところが決定的に違うといった話をされてなるほどなと思ったのです。

▼この、ブログに、おっさん世代としていろいろ書いているのは、Facebookで実名登録しているのと、InstagramやTwitterで完璧匿名というか別人格で書いているものの、ちょうど中間みたいなところになるのではないかと思いました。思えば、完全に個人として個人事業主でやっていくのでは窮屈なところ、株式会社や合名会社といった「法人制度」によって、適切な組織的運営や責任分担、収益の分配ができる仕組みを整えたのは人間の多いなる知恵であったわけです。例えば、自分の時間を一秒も使わないけれども、株主、出資者としてその会社経営に大きく関わることができる株式会社制度など、人がもつヒト・モノ・カネ資源のどれか少しでもかき集めて世の中に超過利潤を生み出そうという悪魔のツールであるわけです。米や酒ならば、かなりの時間保存することができますが、永久というわけには参りません。その点、会社という形態ならば、日本は金剛組という1,000年以上続く会社をはじめとして、200年以上続く会社がわんさかあり、その割合は世界全体の過半数を実に日本の会社が占める、といった驚きの状況になっています。これは、あるものを極力うまく使いつづける(使い倒す)という日本人の侘び寂び、もったいない精神が為せる技なのかもしれませんが、そういうことで、組織にとどまらず、思想や社会制度、国家統治システムそのものに至るまで、日本人は今あるものをうまいこと再利用して、作り変えてそのまま使うことについてはピカイチの柔軟性を持っているのではないかと思うのです。全ての代表選手が「天皇」という存在(厳密には制度ですらない、芸風?屋号?)でしょう。

▼話をInstagramに戻りますと、そういう意味で、Facebookとは違って、全くリアルな個人とは別人格の「人格存在」をネット上に現出させる(創作する)ことができるのが、InstagramやTwitterであり、FacebookやLinkedInは、あくまで現在リアルに数十年存在し続けた個人の人格を、ネット上に「拡張」「代理」するツールに過ぎない、この2つのグループはそもそも目的としているところが違うのだと一応理解することにしました。InstagramやTwitterで、新しい人格を創出するほど暇やパワーややる気のない、おっさんやおばさんが見ている世界と、新しい創造に対するハードルが低い若者との、意識の違いと言ってみたらいいのかもしれません。

▼さて、このインスタやツイートばかりの若者もいずれ年を取っておじさんおばさんになるわけですが、その過程でどのようにこれらのサービスが変容するのか、見ものだと思っています。こちらからの本日の記事は以上です。いつもいつも、やりたいこととは別のことばっかりやっていて、それはそれで結構せわしなくて満足しているけれどもちょっとアレ?と思っているおっさんの駄文でした。それではごきげんよう。

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