940年3月25日は平将門討死の日です(2021/03/26)

平将門公

▼940年3月25日(天慶3年2月14日)、つまり昨日、平将門が討死しました。将門の首は京(平安京)で晒し首となりますが、何ヶ月経っても腐らず、目を見開いていました。やがて首は関東を目指して空高く飛び、途中で力尽きた場所が、現在の東京都千代田区大手町にある将門塚であるといわれています。将門公を慕う東国の人たちの思いは、今も東京の大手町という超一等地に、強く息づいており、おそらく世界一高い地価の祠(ほこら)だと思います。隣のビル群のオフィス(三井物産本社など)では、できるだけ将門塚に背を向けないように配置を工夫しているといった話もあるようです。

▼さて、神田明神とも言われる将門公の話から脱線しますが、令和の今では個人情報を管理するのは非常に手間になってきております。例えば、会社の業務で名刺を数枚いただいただけでも、いただいた会社でデータを保管しないといけないので、最も適当な方法としては、もらった名刺はクラウド名刺管理システムで撮影してデータを取り込んだあとは、シュレッダーにかけて廃棄する、というものになってしまっています。自宅に持ち帰ることすらできないのは世知辛いですが、それは会社業務の一環として名刺を受け取っている以上、仕方のないことになっております。

▼そこで、もはや個人情報データに抵触しない、個人名(リーガルネーム)とは関係のないビジネスネーム、屋号、芸号、ペンネーム、通名、旧姓で通してしまうのはどうかと思います。夫婦別姓の議論を、個人名(リーガルネーム)の問題としている以上、おそらく百年経っても案はまとまらないと思うので、それはそれとして、もっと習慣として、本名は、あの原作及びスタジオジブリでのアニメ「ゲド戦記」の世界観のごとく、本名は本当に信頼関係のある少数の者にしか明かさないもの、他には秘する、ということにして、普段の生活や仕事は、通名、たとえば本名ゲドなら通り名ハイタカ、みたいな感じで過ごすのです。通り名ですから、個人情報保護法令の範疇ではないし、名刺も配りたい放題ですし、受け取った側も、個人情報保護!ということでシュレッダーにかけ続けなくてもよくなるはずです。

▼そこで、筆者も早速、通り名「福山雅治」を提案してみましたが、会社の(特に女性社員に)即座に却下されました。自宅でも提案してみましたが、やはり女性陣に即座に却下されました。どうも遺伝形質的には99.9%以上の確率で、筆者と現実に芸能界に存在する「福山雅治」氏は同一であり、さらに彼の方が筆者より年上、いわば「おっさん」であるはずなのに、もっと申せば筆者目線では筆者が同氏に似ているのではなく同氏が筆者に似せているのではないかとすら思うのですが、ごく少数意見としてこちらも即座に却下されたわけです。

▼従いまして、ビジネスネームにするにも、やはりなかなか受け取る側の心象にも配慮しなくてはならないということになりして、実際にこの会社ではビジネスネームで通すように、ということでやっている実際の日本の大企業に、「レンタルのニッケン」という会社がありますので、ホームページなど覗いてみますと、ビジネスネームを導入した趣旨は、筆者がここで論じてきました個人情報保護という観点ではなく、あくまで、仕事人という「役割」「役目」を思い切り全うしてもらいたい、そのためには、芸能人と同じように芸名が必要であるというようなことらしいです。確かに、芸名のまま、大臣をつとめた扇千景さん(宝塚俳優)や、千葉県知事の森田健作さん(映画俳優)の例もありますから、公的な地位につく際に別に本名が必須というわけではございません。野球のイチロー選手も、登録名として使って良いということであれば別にカタカナ書きでも構わないですし、より親しさを示すために渾名(あだ名)で呼び合うという習慣もあるようです。

▼レンタルのニッケンでは、レンタルのニッケンでは、全社員が本名ではなく、ビジネスネームで仕事に取組んでいます。芸能人でいうところの「芸名」「屋号」のようなものです。同社がビジネスネームを導入した最大のねらいは、公私の区別を明確にすることにあります。社員一人ひとりが様々な思いをこめて名前をつけ会社という劇場で仕事という芝居を演じる役者になりきるわけです。この制度は、1987年に、会社創立20周年の記念行事として、創業者が「一銭もかけずにインパクトのあるもの」として発案し、実施したのが始まりです。この制度の導入目的は、ひとくちで言えば、公私の区別を明確にする、という事です。社員は、会社の玄関をくぐったら、プライベートな立場から、スイッチを切り替えて、プロの意識を持って、仕事をするべきである、という考え方を、会社の文化として定着させる事を、目的とした制度です。またそれは、仕事をいったん離れれば、個人の時間や、家庭をしっかりと大事にしてほしい、という、会社からのメッセージでもあります。

レンタルのニッケンホームページより

▼いろいろ書きましたが、先の記事で書いたTwitterやInstagramはネット上に本人とは別人格を現出させるものであるという説と同じように、同じ人間でもいろいろな場面や気分によって、名前を使い分けるというのは、それこそ一円もかからない経済振興策、文化振興策として検討してみるべきだと思います。かといって、筆者の福山雅治説への否定は止むことはないと思いますが…。

▼神田明神になられました平将門公に心を寄せつつ、本日の記事を終えたいと思います。ありがとうございました。