社員は悪くありませんから!
山一證券廃業、野澤社長の会見。
改めて調べてみたら…
・入社33年目に叩き上げで社長に抜擢
・直後に歴代社長の隠し債務2600億円が発覚
・就任3ヶ月で廃業会見
という騙し討ちの状況での
『私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!』
フジテレビ社長に言える?これ
負けてなお、強いインパクトを残した
わたしも金融業界にいた
経営に臨む上での心の指針にしている
これぞ、平成のショウヘイ
嫌なことがあったらこれ見て元気をもらう
お家を潰して家臣の再就職に奔走したのはのぼうの城の成田長親、平成では山一證券の野澤正平
日本人の精神ここにあり
...
山一最後の社長
当時の山一は、総会屋利益供与問題と無関係で尚且つ簿外債務について知らない者から後任を選ぶ方針で、そうした経緯から野澤が社長に選任された。
野澤は社長に就任して初めて、山一證券が2600億円という巨額の簿外債務を抱えていることを知った。前会長・行平次雄は自らが傷口を決定的に広げた問題の尻拭いを前社長・三木淳夫に押し付け、三木も簿外債務を処理することができないまま総会屋利益供与問題で職を追われていた。
当初、野澤ら新経営陣は廃業という選択を考えておらず、リストラで事業を整理縮小してでも会社を存続させる方針であった[4]。
莫大な簿外債務の存在を知らされた野澤らは、ただちにプロジェクトチームを発足させた[注 2]。メリルリンチとの提携や、規模縮小などで会社の存続を図ったが、この問題は野澤が知らされた時点で、もはや手に負えるものではない致命傷であった。東京証券取引所で株価の下落は止まらず、メインバンクの支援も得られず、最後には大蔵省にも見放される形で、山一證券の自主廃業を決定せざるを得なかった。野澤が社長に就任して、僅か3ヶ月での廃業決断だった。
1997年(平成9年)11月24日月曜日は、勤労感謝の日の振替休日で休業日だったが、午前6時から山一證券臨時取締役会が開かれ、自主廃業に向けた営業停止を正式に決議した。同日午前11時30分、東京証券取引所において、自主廃業を発表する記者会見が行われた。2時間以上も記者からの質疑が続いたのち、読売新聞東京本社経済部記者・中村宏之の「社員にはどのように説明するのですか」という質問に対して[5][6]、野澤は
これだけは言いたいのは… 私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから! どうか社員のみなさんに応援をしてやってください、お願いします!
私らが悪いんです。社員は悪くございません‼ 善良で、能力のある、本当に私と一緒になってやろうとして誓った社員の皆に申し訳なく思っています!ですから… 一人でも二人でも、皆さんが力を貸していただいて、再就職できるように、この場を借りまして、私からもお願い致します!— 野澤正平、山一證券代表取締役社長
と感極まる苦悶の面持ちで社員を庇いつつ、立ち上がって深々と頭を下げる姿がテレビで大々的に放送された。それまではありふれた質疑応答で、野澤も事前に用意された原稿を事務的に淡々と読み上げるだけの会見であったが、2時間ほど経った中村の質問がきっかけで雰囲気が一転し、この発言となった[5]。
この映像が報じられた当時、各種メディアで揶揄する向きが少なくなかった。しかし、組織の不正が発覚した際に記者会見等で不誠実な弁解をして事態を悪化させた経営者も少なくない中で、経営トップが誠実な謝罪をした記者会見として、現在は高く評価されている。三洋証券・北海道拓殖銀行・日本長期信用銀行・日産生命保険を始めとする、金融機関が立て続けに倒産した平成不況時代を象徴する映像としても再三使用される。