経済なき道徳は寝言である(二宮金次郎)

道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である(二宮金次郎、尊徳の言葉)

道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である、と二宮金次郎、尊徳先生は云われました。

日本の田舎、離島や限界集落の町の再生、街づくりについても、経済的基盤がないといけませんから、会費を取るなり、何らかの生産物を売りなりして、コミュニティの経済基盤を拡充しないとうまくいきません。

もちろん、コミュニティの会計は、明確かつ遺漏のない、明朗会計で。

日本の離島や限界集落になればなるほど、国や県からの「補助金」や「公共事業」という名のくれくれお仕事に頼った経済基盤を守ることに汲々となり、その活力はますます削がれていくことになります。そして待っているのは強烈な人口減であり、縮む既得権益の残りかす(経済的基盤)をすすって問題を先送りして生き延びることを望む多数派と、それを見限って町を出てしまう少数派に別れ、結果故郷の町はますます疲弊するという構造です。

だいたい、「民間」で出来ることを「役所」がおこなう必要があるのでしょうか。

本当は、「民間」では難しい事だからこそ「役所」でおこなうべきなのではないかと思うのですが、すでに、日本の津々浦々の離島や限界集落は、市町村役場が唯一の経済主体として、やることすべて支配しているというのが実態です。

民間でできることに、そもそも補助金とか公共事業とか、そういう概念は似つかわしくないのです。

もともと、民間企業も、消費者の社会的信頼を得るためには社会から求められる課題の解決を本来業務に取り入れなければならないわけであり、そんなのをいまさら企業の社会的責任<CSR>とかSDGsなどと改めて言わなくても分かりきったことだと思います。

冒頭で紹介した二宮尊徳先生の言葉、「道徳」を「地域課題の解決」に、「経済」を「事業」に読み替えてみましょう。

地域課題の解決を考えない事業は犯罪であり、事業なき地域課題の解決は寝言であるとなります。

どうやら「民間」で出来ることとは、企業の本来業務を地域課題解決とリンクさせて、事業利益と地域課題解決双方を目指すというものだと思います。

昨今、財政再建の名の下に地方公共団体の財政基盤は悪化の一途を辿っています。

そうした原因となったのは、「役所がおこなうべきこと」として推進してきた、公共事業導入(トンネル掘ったり、洪水対策の名のもと河川をコンクリート詰めしたりすること)や補助金クレクレ芸能だったことは、実は当の離島や限界集落にいる人たち自体も、本音と建前としてよくわかっていることなのです。

ですけれども、目の前の経済基盤を守るため、自分や家族や近親者、仲間の利益を守るため、泣く泣く黙っているだけなのです。

利益と社会的課題の解決とのバランスが取れていない事業は長続きしません。

おんぶにだっこの「国」「県」だって、もう人口減による経済的基盤の縮小から逃れられません。

「財政がピンチだから」の一言で解体して良いことばかりではないですが、一度、ゼロベースでやるべきことを棚卸しすべきだと筆者は思っています。

日本の津々浦々の離島や限界集落に住まう、皆さんはどう思いますか?

以上

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