希望なきは死なり、満足は腐敗なり(四島一二三の言葉)
墓石に刻まれた4つの言葉
興産一万人を掲げ、戦前の九州経済界に燦然と輝く業績を残した福岡相互銀行(後の福岡シティ銀行、西日本シティ銀行)創業者の四島一二三(ししまひふみ)の墓石に刻まれているのは次の4つの格言です。44歳で福岡シティ銀行を創業。そこから長く四島一二三さんの一番電車、で早朝5:30出勤を通した方です。朝は3:30起床。
福岡市の中央部、平尾霊園にその墓石はあります。
「希望なきは死なり、満足は腐敗なり
勇気なきは精神的死者なり
一も努力 二も努力
努力なくして家庭の繁栄なし
平和なし 幸福なし」(東面)
「安心と自惚と油断は禁物
心の弛みは強盗より恐い
精神には常に武装せよ」(西面)
「堅持せよ 鉄の意思と火の精神力
断行せよ 信念の前に不可能なし」(北面)
そして正面(南面)は、
「祖先に対する最上の祭りは
道を守り業を励むにあり」
希望なくして生きることは死と同じであると四島一二三は語りました。
死してなお、残った者に希望を指し示す生き方があることを教えてくれます。
希望なきは死なり、満足は腐敗なり
以上
追伸
四島一二三がアメリカから福岡の地に戻り、天神に福岡無尽を創業したのは44歳のとき。ここから興産一万人を掲げ、四島さんの一番電車と言われた朝一番の電車に乗って5時半に出社されました。これを30年以上。
はじめるのに、おそすぎるということはありません。
当時の記事にはこうあります。
毎朝3時40分に起床。山羊や鶏の世話をした後、軽い朝食をとり、仏壇に向かって「発願文」を朗読。そして、家を出て徒歩で正光寺へ行き、長男・孝(5歳で死去)の墓前に参る。辺りを清掃した後、5時の始発電車に乗って出社。これがそのあと30年余り続いた。福博の名物となった「四島の一番電車」である。一二三氏が出社前、毎日唱えたという「発願文」の最後の一行は、「希望なきは死なり 満足は腐敗なり」。
「四島記念館」では四島一二三さんのことを、こんなに多くの人たちが話をしています。まさに興産一万人。
以上
発願文
四島一二三は経営者としての覚悟を表す有名な「発願文」を記し、出社前に全身全霊で唱えた。そしてこれは、後の生涯で途絶えることはなかったのである。
発願文
謹んで四島家祖先累代の霊に願い奉る
不肖
只今より職場に赴くに当り正義にして如何なる大敵をも恐れず世論喧々囂々誹謗身を包むも泰然自若たれ憤死するも所信は断じて変えぬ決心と千辛万苦を与え給え
更に職務完遂の為には万難を排して突貫するの勇気と強志力行の努力堅忍持久の精神を与え給わんことを血願す
幸にして今日、職務に斃るることあらば弥陀の本願に乗じて浄土に導かれ無限の力を心身に養い来りて七生報国の希望を達せん
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
希望なきは死なり 満足は腐敗なり
▷次の記事は
(25)格言社長と発願文
父の四島一二三は「格言社長」という異名を持っていました。しばしば、自分で格言をつくっては、これを唱えてわが身を奮い立たせていたのです。1927(昭和2)年に作った「発願文」は、最初の自家製の格言と聞いています。小さな巻物になっていてお客さんがほしいと言えば、プレゼントしていました。父は毎朝、これを仏壇の前で唱えて出勤しておりました。
発願文
謹んで四島家祖先累代の霊に
願い奉る 不肖
只今より職場に赴くに当たり
正義にして如何なる大敵をも
恐れず世論喧々囂々誹謗身を
包むも泰然自若たれ
憤死するも所信は断じて変え
ぬ決心と千辛万苦を与え給え
更に職務完遂の為には万難を
排して突貫するの勇気と強志
力行の努力堅忍持久の精神を
与え給わんことを血願す
幸いにして今日、職務に斃るる
事あらば弥陀の本願に乗じて
浄土に導かれ無限の力を心身
に養い来りて七生報国の希望
を達せん
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
希望なきは死なり
満足は腐敗なり
自分の信条をまとめた「獅子ノ宣言」というのもあります。ライオンは、獅子であり「四島」に通じると、父は考えていました。
獅子ノ宣言
一、獅子ハ、捨身デ驀ラニ、自己ノ道ニ突入スル人ヲ愛シマス
二、獅子ハ、不可能トカ、不得要領トカ、不平トカ、不満トカ云フ言葉ガ大嫌ヒデス
三、獅子ハ、積極主義ノ人ヲ愛シ、日和見主義ニ立テコモッテ、傍観的ナ、冷笑的ナ人ハ大嫌ヒデス
四、獅子ハ、迫力ト、断行力ト、旺盛ナル精神ヲ持ツ人ヲ愛シマス
心の養生五訓
一、みだりに腹を立てぬこと
二、愚痴を起こさぬこと
三、よく諦めること
四、常に愉快な心をもつこと
五、如何なる場合も悲観せぬこと
きびしい倫理観を貫きながらも、つねに未来のことを考えた父でした。格言は九十五歳で亡くなるまで作り続けましたが、これらはすべて自分のためのもので、他人に強制したことは一度もありません。
元福岡シティ銀行頭取 四島 司氏 (FROM:西日本新聞・聞き書きシリーズ・吉塚哲氏)