スープストック炎上事案

この問題の本質を解説します

適齢期以降の女ってのは同じやねん。微妙やねん。
たとえキャリアを磨いて稼いでようが、イケメン彼氏がいようが、高学歴だろうが、タワマンに住もうが、「子どもがいるかいないか」ただ1つだけで人間としての価値を判断されてしまう気がするねん。
人からどう見られるかが妙に気になるし怯えてるねん。

年齢とライフステージがある程度マッチしてないと、レールから外れてると、「ププッ」って思われないか日々怖くて怖くて仕方がない。
あのスープ屋ってのは、レールから外れた独り身の独女にとっては、それから逃れられる安息の場所だったんよ。
自分と同じような女しか客にいない。安心感。

そこに子連れが入ってくるだけでなく、赤ちゃん優遇の説明に、「お客様のライフステージが変わり、ご家族やお子様と一緒にご来店いただく方も増えてきた中で」なんていう一文をぶっこんで入れてきたのがまたキツい。
だまって淡々と離乳食無料で提供してればいいのに、「ライフステージが変わり」とか入れてきやがった。変えられない、とどまっている連中にこのステージチェンジの言葉は厳しい。ナイフでえぐられるようなもの。

自分のライフステージが変わってないことがグッサグサに刺激される。
プライドだけは高いので1人で吉野家とかココイチとかには入りにくい。入るところを人から見られたくない。
サイゼもグループ客や若者が多く中年独女には近づきづらいし、「サイゼは学生が行く店だし」とプライドが邪魔する。

そんなところに救いの手を差し伸べてこれまら20年くらい居場所を与えてくれてたのが例のスープ屋やねん。
駅ナカとかにあって、急いで食べたい時に助かる。妙齢の独女に居心地がいい。オシャレ感も提供してて人に見られても問題ない。
結局、誰かが言ってたとおり、独女向け牛丼屋なんだよ。

男からすれば赤ん坊がいたら「赤ちゃんがいるな」「泣き声うるせえな」くらいの感覚やろ。
独女からすると自らの存在価値を揺らがしてくる、自分が登りたくても登れない、登りたかったのに永久に登ることができないステージにいる存在が、横にいる感覚になる。泣き声とかどうでもいいんだよほんとは。

そいつらがいるせいで、その空間で自分が対比されるような感覚を感じてしまうんや。つらいんや。
独女だけの、または独女っぽい人だけの安息の聖地が汚されるんや。

薄々変だよなと感じながらも全員がちょんまげしてる世界に生きていたのに、突然周りが現代風の髪型の男だらけになるのを考えてみろ。

全員がちょんまげだったら問題なかった。
スープ屋にいけば全員ちょんまげだったから安心感があった。
なのに今や自分だけがちょんまげをしてる。
自分だけちょんまげしてたらおかしいだろ。恥ずかしいだろ。居心地悪いだろ。
ちょんまげの自分はどこにいけばいいんや?腹を切れというんか?

ちょんまげならバッサリ切ればそれで終わるで。
でも、結婚して子どもを産んでってのはハードルが高い。一定年齢になると子どもも産めない。

幕末には侍ですら文明開化に抵抗したんや。ちょんまげ切りたくなくて戊辰戦争で五稜郭にまで立てこもったんや。
スープ屋の話は、深く、もっと重たいんやで。