日露戦争の海上決戦となった日本海海戦において日本が取った丁字戦法(ていじせんぽう)について(2014/01/04)
戦艦三笠と東郷平八郎像 |
おはようございます。
2014年1月の記事です
明治の四国伊予松山が生んだ秋山兄弟の話です。
時は1904年開始の日露戦争の折、兄の好古は日本陸軍将校として満州の地でロシアコサック騎兵に相対し、弟の真之は日本海軍参謀として日本海海戦を練りに練った作戦「丁字戦法」を擁して戦い勝利に導きました。
因みにアルファベットのTではなくて、甲乙丙丁の丁字ですので、ここはお間違えないように強く願います。
相手艦隊の先頭艦に向け、こちらの艦隊の全砲門を集中させるという作戦ですが、これは予め艦隊を横展開させておくというものではなく(そうしてしまえば相手艦隊はそのまま直角に変針して逃げてしまいます)、敵前回頭後、しばらく平行して進む両艦隊のうち、速力に優る自軍の艦隊をかぶせるように接近していくところで変則的な丁の字を完成させる(イの字に近い)というものです。
地球を半周し、船底に牡蠣や貝が大量に付着し速力も落ちたバルティック艦隊に対し、味方の速力の優位性をフルに発揮した作戦でした。
なお真之が立案したこの作戦は、古く村上水軍や九鬼水軍で伝承されてきた作戦にヒントを得たものだそうで、日本古来の技法が非常に合理的なものであったことが伺われます。
なお時代は下り、水軍兵法書にもある小舟で大船を殲滅するがごとく、日本海軍は零式艦上戦闘機を開発し、一瞬世界の頂点に立ちますが、その後過酷な運命を辿ることになります。
詳しくは別の機会に譲ります。
海軍航空隊整備兵を祖父に持つ筆者からの昔話は以上です。
(平成26年1月4日)